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《2011.5月−14》

平田オリザ×天野天街 異種格闘技の迫力たっぷり
【隣にいても一人 (雨傘屋)】

作:平田オリザ 演出:天野天街
25日(水) 20:00〜21:15 ギャラリーADO(熊本) 1,800円


 異種格闘技ともいうべき舞台で、平田オリザ×天野天街の、激しいバトルの火花が散る迫力の舞台だった。こんなすごい企画を考えた制作者に脱帽して感謝する。

 朝、目が覚めたら結婚していた、男と女。男の兄と女の姉は夫婦で、離婚しようとしていた。

 何ともいえない不可思議・不条理な気分がスタートで前提条件なのだが、戯曲の構造は平田オリザの理論そのままにものすごく論理的で、すっきりとわかってしかも飽きさせない構造になっている。

 場面転換のたびに時間を見てみたが、75分(1時間15分)の舞台が、10分、10分、10分、5分、5分、10分、10分、5分、5分、5分 の場面に、実にきれいに分かれている。
 それぞれの場面は場面ごとに実にキチンと、開いて(わからない状況を舞台に投げ出して)閉じる(わかる情報を提示してわからせる)。疑問に思うことがそのまま放置されることはなく、わかりきったことを引っぱって退屈させられることもなく、実にスッキリとわかりやすく、ストレスが溜まらない。
 真ん中あたりと最後に5分の場面があるのは、急を告げる展開でスピードアップしているのがわかる。
 そんなふうに、実にみごとな構造だ。

 そのような理に則った平田戯曲に、情念丸出しのまったく違った舞台作りをする天野天街は、自分のやり方で挑んでいる。
 まずは、もともとクッキリとしている平田戯曲のセリフに揺さぶりをかける。人物の心の泡立ちを煽って積極的に表出させてぶつからせて、そして解き放とうとする。
 しゃべりは抑えたものにはならず開放的で、行き違わずに積極的にぶつかる。ぶつかってスパークする。そのスパークを、大音量の無機質なセミの声ではじけさせる。セリフに潜む情念を引っ張り出した。

 もうひとつは、天野天街自身が書き加えた3人を飛び道具に使い、情念を露わに噴出させる。兄の思い出が弟の幻想と繋がり眼前に現出する3人のイイジマさんの、奇妙奇天烈なダンスは強烈だった。
 そのようなシーンでは、劇作家と演出家のバトルの熱をモロに感じた。そのようなバトルが、舞台を大きく豊かに膨らませていた。

 一流の演出家が熊本に滞在して、熊本の演劇人とオリジナリティ溢れる舞台を作る。それを実現していることもすばらしい。俳優たちは、ほんとに生き生きした演技だった。

 そんなすばらしい舞台なのに、残念なことがひとつ。それは、非常にマナーの悪い観客がいたこと。
 40席弱の、長方形の小さな会場は、観劇スペースとしては贅沢。舞台はその真ん中付近に置いたそれほど大きくない座卓のまわりの、ほんとにせまい空間。客席のいちばん舞台に近いイスは、天井からの舞台の照明が半分は当たるような位置で、俳優との距離は1メートルもない。
 そのイスに座った観客の、どうでもいいところで頻繁に発するけたたましい野放図な笑い声は、舞台の感興を大きく削いだ。その異様さに舞台への集中が阻害されたし、舞台と観客の一体感に明らかに水を差すものだった。演技への影響もないはずはないだろう。
 笑うときは口を押さえるとか、他の観客への配慮は当然やるべきだ。たくさん笑いそうだったら、そんな舞台に近い席を避けて、隅っこに座るとか、それくらいの配慮はやって当然だ。それが観劇のマナーだろう。

 この舞台はきょう25日から29日まで7ステージ。少し空席があった。


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