ダンスと演劇の両方のおもしろさが、同時に楽しめるダンス公演だ。
この劇団が確立した“ダンス的演劇”(テアタータンツ)という独自表現の質の高さがわかる。
心理療法士のところに、本が書けずに悪夢に悩まされている作家が相談にやってきた。
作家の書くものは次第に心理療法士をモデルにしたものになり、心理療法士を自身が作家の作品の中に取り込まれていく。
イムズホールを横切って、幅3メートル、高さ10センチほどの長い舞台があって、その両端に俳優の登場口がついている。片方の登場口には入り口にソファが置いてあって、俳優はそれを乗り越えたりくぐったりして入退場する。
上演中に天井から長い舞台を縦に分けるように黒い紗が下りてきて、それをスクリーンとして映像が映写される。終始軽くスモークが焚かれている。
客席は、舞台の両側に150席ほどが設けられている。
登場人物は6人で、それぞれに役名がある。
まず派手な服を着た作家が登場して踊り始める。動きがよくてユーモアに溢れたダンスは、そのあと登場する心理療法士やその婚約者やアシスタントが登場してからみ始めるとさらにおもしろくなる。
そんなダンスを楽しんでいるうちに、人物の関係がぼんやりと浮かび上がってくる。その動きからストーリーが少しずつわかってくる。即物的な振付ではないから細かいところまではわからなくても、ダンスの動きとテクニカルでセンスよく強調された舞台全体のイメージが心地よくて、舞台の世界に引き込まれる。
話が急展開していく後半は、集団での激しいダンスが続く。とてつもないところまで行ってしまうストーリーを、うまく感じさせ納得させてくれるダンスがおもしろくて、ほとんど笑いっぱなしという状態になってしまった。
緩急をつけて身体全体を大きく敏捷に動かすソロのダンスも楽しいが、そのままの鋭さでダンサーが絡んでいく集団でのダンスでは、楽しさがさらに大きく広がる。激しい動きの大胆な振付をみごとにシンクロさせて、絶妙のタイミングでバシッと決まると、グッと吸い込まれるような印象がある。そんなダンスだ。
小説が心理療法士のことで満たされてしまったが、そこでとどまらずにさらにエスカレート。膨張した心理療法士は小説を突き破って現れて、小説の世界と現実の世界とを裏返してしまう。言葉での説明ではうまく伝わらないそんな状況の表現も、うまい演出と振付のダンスだと何となくわかってしまうというところがすごい。
2001年に上演した長谷川寧の戯曲「鼻男」を、演劇の方法論を用い身体を起こしていく“ダンス的演劇”(テアタータンツ)として作り直したという舞台。
アフタートークでの長谷川寧の話によると、この舞台は、まずセリフを入れて作ったうえで徐々にセリフを抜いていって、セリフなしのダンス作品に仕上げたという。セリフがなくなって不分明になった分、観客の想像にまかせて多様な解釈ができるようになった。そこが何とも魅力的という、そんな舞台だった。
この舞台は福岡ではきょう1ステージ。ことしの福岡演劇フェスティバルの最後の上演作品だ。ほぼ満席だった。