いっぱいの仕掛けを満載した仮設劇場を使っての、異界を覗かせてくれるような大スペクタクルが楽しめる舞台だ。
娼館や鉄屑屋などを舞台に、故ク喪失者のいくつかの物語が並行しながら進む。
ベイサイドに建てられた巨大な仮設劇場は、テント劇場の概念をはるかに超えるもので、近づいただけでもわくわくするほど。
その仮設劇場の前に広く空きスペースが取られていて、そこでは観客に取り囲まれてプロローグが演じられる。仮設劇場の高くて広くてゴテゴテとした正面は、そのプロローグを演じるように設えてある。
まだ明るい午後7時から始まったプロローグは、本編の予告編みたいなもので、全出演者が出演する。
いろんな方向から走ってくる出演者たちの広場での演技と、仮設劇場の正面のいろんな位置に次々に登場して見得を切る出演者たちの演技とが、大きな演劇空間を作り出す。仮設劇場の正面からは、レールの上を出てくる炭車に乗ったり、空中にせり出す巨大なちょうつがいの上に乗ったりと、役者の登場のインパクトは強い。いちばん高いところから水がドバッと降ってきてビックリしたりする。
約20分間のプロローグが終わってから客入れ。15分後に本編が始まり、ほぼ2時間半ノンストップだ。
階段を登って劇場内に入ると、200席ほどの急傾斜の階段状の客席があり、その客席を下りきったところが舞台で、その中央に作られたけっこう広い池が青い水を湛えている。池の後方、上手、下手の3方向からレールに乗った舞台が池の上までせり出し、それぞれの舞台はリアルな装置を乗せた回り舞台が設えられていて、3つの回り舞台の裏表変換を同時にやってしまう。
途中2回ほどある激しい降水と噴水のシーンの印象は鮮烈だ。宙乗りなどのケレンもたっぷりで、ラスト近くのテントのオープンではテントの外で、役者2人が乗った船が宙を飛ぶ。
そういう風に、この劇団らしい仕掛けによるスペクタクルは十分に楽しめる。この劇団を初見だったら、たぶんこれだけで十分に満足しただろう。
この舞台で、そのような仕掛けが全体的な劇的感興のために十分な効果を上げているかというと、そこには不満が残る。その原因は脚本と演技にある。
脚本は、並行するいくつかの物語がそれぞれが前には進まずループしていて、それぞれの物語に通底するところはあっても、絡みがなさ過ぎてドラマとして大きく見えてくるものがない。場面場面はそれなりにおもしろいのに、それを繋ぐものが弱い。
演技は、しゃべりも動きも内発するものが弱いのか、どこかひ弱で薄くて切れが悪くて、仕掛けに負けているところがある。
題名の「NADJA」というのは、娼館に売られてくるロシア混血少女の名前。アンドレ・プルドンの「NADJA」かなと思ったが、そうではないらしい。
夢野久作の「ドグラマグラ」は、換骨奪胎されて味付けに使われているという趣で、中途半端なその扱いからするならば、題名に入れるべきではないだろう。
この舞台は25日から6月4日まで10ステージ。ほぼ満席だった。