蓬莱竜太の卓越したセリフ術を感じた舞台だった。
舞台に流れる時間の感覚が非常に弱くて、舞台上の時間が消えてなくなってしまったような、独特の感覚の舞台を作り出していた。
辺鄙な山中にある超人気レストラン「山猫」にシェフ修行にやってきた男。
誰も食べたことのない創作料理を売り物にしているそのレストランの真実を、男は知ってしまうことに。
レストラン「山猫」には、カリスマシェフの男と3人の料理人。男の姉はフロアマネージャー。男の父はすでに引退していて、亡くなった妻の手料理の味を再現しようとしている。そこに若い女性の雑誌記者が取材にやってくる。
舞台には森の中にあるレストランの厨房がリアルに作られているが、全面の窓には様式化された巨大な針葉樹が鋭い調子で描かれている。
ド素人の料理人が作る誰も食べたことのない創作料理のハチャメチャな作り方。超人気を維持する仕掛けはステマ。ややデフォルメされてはいるが、そんな詐欺まがいのやり方で超人気を維持するレストランの空疎さをみごとに表現していて、超人気レストランにはすごいスキルがあるはずだという思い込みをぶっ壊していくところは爽快だ。
確かにすごいスキルはあるといえばはあるのだが、それは、どうでもいいようなものをすごいものだと世間に思い込ませる仕掛けだけだ。みごとに開き直って、仕掛けに踊らされて空疎なものを超人気にしてしまうという、今の世間の購買行動がみごとに透けて見えるところまで描いていく。やっていることは詐欺まがいではなくて、実質を離れたところを購買動機としてしまうようなブランド戦略そのもの、というわけだ。
ただ、そんな水脹れともいえるような今のやり方に、レストランの誰もが飽き飽きしてきている。
だからといって、いいものを出せば客が来てくれると頑なに信じるシェフ修行の男に任せたのでは、閑古鳥の鳴くレストランに戻ってしまうのは目に見えている。シェフ修行の男の挫折も語られ、根性モノにならないように釘が刺される。
だから、レストランの実態がバクロされていくだけで、謎解き的な興味はあっても積極的な展開には向かわない。料理の内容にまともさを加えていこうというあいまいな方向づけで終わるまで、示された状況からの新しい展開はほとんどない。
それにもかかわらずこの舞台に引き込まれるのはどうしてなんだろう。それはどうやら、蓬莱竜太の卓越したセリフ術にあるようだ。ほんとにそのセリフは、ていねいに状況を積み重ねるだけで、そこに流れる時間の感覚が非常に弱い。舞台上の時間が消えてなくなってしまったようなレトリック感があって、それが独特の空気を醸し出していた。
カリスマシェフ役の仲村トオルが柔軟な変幻自在とも思える演技で、姉役のYOUがそれをじっくりと支える受ける演技。父役の江守徹は「美味しんぼ」の海原雄山とは正反対のような、全体を相対化させる静かな役。それ以外の俳優もそれぞれに、位置づけられた役割をキチンと演じているといった印象だった。
蓬莱竜太のパルコ劇場初進出のこの舞台は福岡ではきょう1ステージ。会場が広すぎることもあり、かなり空席があった。