池田鉄洋のとぼけたアイディアいっぱいの脚本を、個性的な俳優たちがこれでもかとばかりに楽しんで演じていた。
観たかったコメディユニット「表現・さわやか」の福岡初公演の舞台は、期待に違わずセンスよくて大いに笑わせてくれて、ほんとにもう、楽しいばっかりの舞台だった。
エディンバラ演劇祭の起源を語るノートが見つかったとして、そのノートの劇化という設定で、両親を亡くした孫娘メアリーを喜ばせるために有力者が、劇団にメアリーが喜ぶ芝居を強要する、というのが大きなストーリーで、劇中劇の中にさらに劇中劇があるという三重構造になっている。
ただただおもしろいことをやりたいためにシーンを作ったり引き伸ばしたりと、展開はかなりラフだが、コントの切れ味はよくて歌あり踊りありの舞台は、まじめにはっちゃけている。
はじめから何回も登場するいけだしんの馬でまず大笑いさせられる。メアリーの父が亡くなるシーンをていねいにやるのは、戦場コントで客を笑わせたいためだけだ。
話に「こわい魔女」を出してメアリーを怖がらせないように「おもしろい魔女」を出したら、メアリーが「おもしろい魔女」を見たいと言い出した―と、場面設定の幅を一気に広げる。シマシマシャツにニット帽という「おもしろい魔女」探しは何回も繰り返されるが、何回見てもおもしろい。ホームズ・ワトソンやセサミストリートやひょうきん者神父や長渕ビートルズや黒柳徹子などなどのメインのキャラのほかに、一発芸的モノマネも加えるとほんとにいくつコントやギャグがあるんだろう、という感じ。メインのキャラの数が多くてしかも幾度も出てくるなど、衣装替え何回やってるんだろという感じ。労を惜しんでいない。
俳優はとにかく、圧倒的な柔軟さだ。多彩なキャラがそろっているうえに、それぞれの俳優の役の幅が広い。
いけだしんはユーモラスだが嫌われキャラでねちっこく絡むし、村上航は老け役や女性役など非常に役の幅が広く、伊藤明賢は長身の二枚目だがいろいろやる。美人のゲスト女優・原史奈は出てくるだけで舞台がパッと明るくなるほどだが、そのうえ役の幅も広い。
あて書きは無論、わざとキャラをずらしてキャスティングするなど自在で、俳優の演技の魅力が舞台の上を交錯するという感じがする。
この舞台は福岡ではきょうとあすで3ステージ。
初めてだったので印象が強くなったのもあるが、この楽しさはクセになる。ただ、空席が目立ったのが残念。満席だったらさらに楽しいことになっていただろう。