いつでも行けそうでなかなか行けない稲川淳二の怖い話。車で20分ほどの筑前町であるので出かけた。思ったほどは怖くなかったが、聴く者を惹きつける稲川淳二の話術を堪能した。
客席500席ほどの筑前町めくばーる町民ホール。舞台中央にイスとマイクと衝立と和傘。「稲川淳二の怪談ナイト」の文字が映し出されている。
稲川淳二がにこやかに登場して客席に手を振る。そのあと、舞台を明るくしたままで怪談についてのトークが20分ほど。このごろは、“小泉八雲”知らない、“雪女”知らないと言う人が多くて怪談話をしづらくなったこと、“開かずの間”や“カッパ”が実は人々の暮らしの中の習俗と深く結びついていることが語られる。
怪談は日常が非日常に関わる恐怖であって、都市伝説やホラーとは違うという。日常が非日常に関わるとはたぶん、錯覚や思い込みで発生した日常の割れ目を見て、そこに超自然の力が働いたと感じることではないかとわたしは考えた。その場に遭遇すれば理解不能な超自然は十分に怖い。自分は体験したくないのは無論、話を聴くのも少し怖い。怖がりだから眠れなくなったら困るし。でもまぁ500人もいっしょに聴くんだからいいか、とかいろいろよけいなことを考えてしまった。
トークが終っていよいよ怪談話だ。稲川淳二はイスに座りなおしてマイクをセットする。マイクは語りの息遣いを捉えるほどに感度を上げて、大きな声ではないがどすの利いた語りを耳元で語られたような感じに響かせる。確かに、息がマイクを切る音はとても効果的で、語りで多用される。客席の照明は完全に落とされ、稲川淳二のところだけがかすかに光がある。
稲川淳二の怪談話は聴いているときはそれなりに怖いが、後を引かない。途中短い休憩を挟んで1時間近く、少し長めのものや短い話をかなりの数する。満員の観客は話に惹きつけられて咳一つしない。自分以外の人間がまわりから消えたという感じさえある。
終ってみれば怖いどころか、さっぱりとさわやかで清々しい。ストレスがどこかに行ってしまった感じだ。聴いたときのおもしろさだけが自分の中に残っていて、話の内容はほとんど思い出せない。稲川淳二の話術はそんなレベルだ。
開演前に「係員の言うことを聞かない観客は退場させるぞ」というアナウンスが2回も流される。よけいなことばかり言ってないで、主催者は自分の観客を信じろよ。
この公演は筑前町ではきょう1ステージ。満席だった。