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《2014.7月−11》

息苦しいまでに、晦渋な舞台
【注文の多い料理店 (小池博史ブリッジプロジェクト)】

脚本・演出:小池博史
31日(木)14:05〜15:10 ぽんプラザホール 3,500円


 宮沢賢治の「注文の多い料理店」に想を得た舞台ではあるが、3.11後の小池博史の思いがそのまま溢れ出ていて晦渋で、救いのないところまで追い込まれてしまうような息苦しささえある舞台だった。

 3人の鉄砲撃ちが深い山奥で嵐に遭い、道に迷って空腹で困っているところに、「西洋料理店 山猫軒」の看板が現れる。そこは「注文の多い料理店」だった。

 舞台の黒い床の上に客席から見ると山の形に白くて厚い帯状のものが置いてあり、途中にいくつか棒を立てる穴がある。舞台の上手奥には毛の部分まである山猫のマスクが3つ、異様な眼差しでこちらを睨んでいる。途中から真ん中に白い外枠だけのドアが出てくる。

 3人の鉄砲撃ちは、きちんと声に出して言うセリフはなく、身体を動かして表現する。それには、必ずしも身体の動きとシンクロしない尺八やパーカッションやピアノの音がつく。話は、3人の鉄砲撃ちの不安や空腹からくるイライラが引き起こす内輪もめなどをていねいに描いていく。
 俳優たちは途中で山猫のマスクをかぶって山猫になり、鉄砲撃ちたちの様子を監視する。山猫の仲間内にだっていろいろと軋轢がある。猛吹雪が襲い鉄砲撃ちたちは内輪もめなどする余裕もなくなったころ、「西洋料理店 山猫軒」の看板を見つける。

 はじめの部屋で1人の鉄砲撃ちを仲間はずれにした2人は、紙の掲示とアナウンスにしたがって、身体から携行物や硬いものを外し身体に香水をかけ塩を塗りこむ。そして、なんと2人は食事にありつくのだが・・・。
 人間と山猫との関係は二転三転しながら接近し、ついには食べる者と食べられる者とが渾然一体になってくる。決してわかりいいラストではない。スッキリしないまましばらくポカンとしてしまった。

 俳優たちのパフォーマンスは、ダンスともパントマイムとも呼びにくい、身体から噴出する“アクション”そのもので、それらは外に開放されることはなくて内に籠もる。テンポはあるが徹底的に創る側のテンポで、観る側のテンポにはあえて合わせようとしない。形で表現するのではなく、ありようそのもので表現しようとする。散りばめられたユーモアも、重苦しさに絡め取られてしまう。
 そのようなパフォーマンスは、観ていて楽しいというよりも、だんだんとオリがたまってきていだらちさえ覚えてくる。たぶんそれは、3.11後の小池博史のいらだちから引き起こされたものに違いない。

 小池博史の作品は、パパ・タラフマラの初期の身体性にこだわった作品をいくつか観たあとかなり長い期間観ることができなかった。映像で見たパパ・タラフマラの後期の作品は、身体性もその一部に取り込んでしまったファッショナブルなインスタレーション風に変わっていた。
 3.11後の2012年にパパ・タラフマラは解散し、比較的小規模で活動を始めた「小池博史ブリッジプロジェクト」の第1作目がこの作品だ。愚直なまでにテーマに向き合い、身体性にこだわった作りは、パパ・タラフマラ初期よりもさらに原点に戻ったという感じだ。晦渋であってもつきあっていこうという気にはなる。

 この舞台は福岡ではきのうときょうで2ステージ。客席には親子連れもおられるが親子連れが大部分というわけではない。ほぼ満席だった。


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