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《2014.8月−10》

後退した、今回の上演
【忘れてもいい口実の、その思い出せない味  (ゼロソー)】

作・演出:河野ミチユキ
21日(木)19:15〜21:50 熊本市健軍文化ホール プレゼントチケット


 10年前に作り上げた初演・再演の舞台の成果をみごとにぶち壊していて、たいくつな舞台だった。

 田舎にある自動車教習所の合宿免許取得者用の宿泊施設。そこにいる人たちのほとんどがどっか様子がおかしい。どうやら半年前に教習所内で起きた爆発事故と関係があるらしい。その事故では1人が亡くなっている。

 この戯曲は2003年6月の初演で、わたしは2004年6月の北九州での再演の公演を観ている。いい舞台で、九州でも「現代口語演劇」の舞台を作れる演劇人が現れたと喜んだ。ボソボソとしたしゃべりだったがそれが互いに響き合って、全体としての気分というか雰囲気を形作っていた。ミステリーとしてもおもしろかったように記憶する。
 今回の舞台は、セリフがズタズタに分断されてそれがそれぞれに孤立していて、大きな全体が見えてこない。この戯曲の上演としては、10年で大きく後退したという印象を持った。

 舞台は、白一色の抽象的な装置を中央に、左右と後方上部を黒幕が囲む。前方のS字型を2つに分割したような形の台は集会室などいろいろに使われ、後方はスクリーンとしても使われる。
 管理人の真っ赤な服をはじめ、1人だけ出てくる教官を除けば教習生はみな、緑、ピンク、紫、赤に、爆発事故で前向性記憶障害になったコミヤは 黒と、意図的に類型化されている。
 出てくる人物はみんな、どこかイライラしている。そのイライラの大元が爆発事故にあることはラスト近くになってようやくわかってはくるが、少しばかり奇矯な人物が下らないやりとりをしているとしか見えない前半はたいくつで、耐え切れずに眠ってしまった。

 ひとりひとりのセリフはそのしゃべりが重苦しくて、それぞれがぶった切れていて全体に繋がらないために、展開が乏しいと感じてしまうのだ。例えばホズミの「でもわたしは、いやな思い出じゃないよ」というセリフは、「でも/わたしは/いやな思い出じゃ/ないよ」区切ってそれぞれを強く発音された結果、このセリフ自体が浮いてしまう。そういう浮いたセリフばかりを生みだすしゃべりで、受けるセリフもまた孤立してしまい、会話にはなっていない。
 セリフが孤立して大きな全体状況と切り結ぶことができないために、全体状況に影響を及ぼしたりその変化が顕れることもない。ミステリー要素が希薄にしか感じられなくなったのも、そのあたりに原因がありそうだ。何とも中途半端な幕切れだと感じてしまうのも、居眠りしていたからだけではないようだ。

 この舞台はきょうとあすで2ステージ。かなり空席があった。


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