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【2002年02月20日】

「漂流画報」(海賊社発行)を読む

〜 これはすごいミニコミ誌だ 〜


 福岡の比較的小さな劇場での演劇公演を見に行って、配られたチラシの中に「漂流画報」を見つけるとえらく得をしたという気になる。それが自分の観た舞台に触れていてくれると、もう嬉しくなってしまう。「このペーパー(「漂流画報」)のすばらしさは実際に手に取ってみなければわからないと思います」とは、インターネット上のコラム「福岡演劇事情」のSUN CHILDさんの言葉だが、まさにそのとおりだ。
 その「漂流画報」のバックナンバーが紀伊国屋書店の博多座店にあると聞いたので、博多座に行ったときに見てきた。閲覧用として第1号から第20号までが2冊の冊子にまとめられている。発行時期は1997年10月から1999年4月までである。

 各号はB4を二つ折りして4ページというのが普通で、単色刷り。絵が多く文字は手書きだが全体のセンスがよく、圧倒的な親しみやすさ読みやすさだ。ミニコミ誌に多いグロいところがないのもいい。
 1号だけ見ても面白いが、まとめて見るとその迫力は更に増す。発行者の性向やその努力がよくわかる。たいへん楽しんだが、その印象を忘れてしまうのはもったいないので、感想をまとめておくことにした。

 「漂流画報」のすべてをひとりで取り仕切っている主筆の北島マヤさんは、年令は30代半ばのようだ。小劇場で大きな声で非常によく笑っている男性がいたらマヤさんである可能性が高い。舞台への反応がいいのは、芝居を作っている人たちと同じようなコミックを読み、同じような音楽を聴いていることに加え、内輪ネタにも通じているためだろう。

 誌面を見ていこう。
 まず驚くのは絵(漫画、イラスト)のうまさだ。場面や俳優のイラストは実によく雰囲気を捉える。その筆致は柔らかく暖かい。
 マヤさんは絵と文字の比率にこだわって、文字の比率が高いことがあるとそれを気にしているが、活字やワープロがほとんど使われず文字も手書きのため、少々文字が多くても硬い感じがしない。

 次に驚くのが、切れ味のよさだ。その着眼点がすごい。音楽と漫画にやたら詳しいのがマヤさんの強みだ。
 俳優はもちろん、美術や音楽にもしつこくこだわる。俳優についてはそのいちばんいい演技を見逃さない。そこをイラストで大きく強調する。その解説も博学で気が利いている。そこまで見てくれたかと書かれた俳優も喜ぶこと必定だ。
 なぜかスタッフの仕事にも詳しく、装置、美術についての見識は高い。それでスタッフのいい仕事をうまく捉えて紹介する。ここでもイラストの威力絶大だ。

 加えて驚くのが、選びこんだ芝居を年間100本近くも見つづけていることだ。
 そのための情報収集能力の高さもすごい。取捨選択もみごとだ。当初は福岡のリアリズム系の劇団もきっちりと観ているが、途中から創造性のないところは外すようになったように見える。「『研修生が出る』芝居や『金しかない』劇団はオレもキライだ!」とインターネット上の「適正価格決定委員会」でマヤさんは書いている。
 福岡だけに必ずしもこだわらず日本の最先端の演劇のトレンドへの関心も高く、いちばん創造性があって面白い芝居を実によく知っている。それを観るために北九州や熊本などへ足をのばす。東京まで行かなくてもここまで見れるという見本で、本物への関心が薄い福岡の演劇人は少し見習ったほうがいい。

 第20号までで特にこだわっているとみえるのが、「福岡の演劇状況」と「洒落男」のことだ。
 「福岡の演劇状況」については、「鳥なき里のコウモリ」と断じている。そしてそれはみごと現状を突いていただけでなく、それが書かれて4年が経った今の中堅劇団の伸び悩みまでを言い当ててしまった。確かに、福岡の演劇人はひょっとして鳥を見たことがないのではないかとさえ思う、ちょっと目を上げればいくらでも見られるのに。
 また、イムズ芝居「洒落男」に対し、全部で4ページも費やしてしつこく告発している。その告発は正鵠を得ているし、「洒落男」の関係者の間では何も総括されていないようだから、マヤさんの男気をよしとする。それにしても関係者はなぜ積極的に発言しないのだろう、せっかくの議論の材料をもったいない。もし何か発言されているのなら教えてほしい。

 はじめのころは、舞台美術のついて演劇講座があったり、女優さんとの対談があったりとバラエティに富んでいる。しかしそれらは途中でやめられているようだが、福岡の演劇人との関係が強いのはそのような経緯があってのことだろうと思う。
 そのことでは、特定の俳優や劇団と近すぎたり反目したりが気になるところもある。昨年末に出た号では、一度引退宣言をした「制作某」の復帰を身勝手として激しく責めたてているのが気になった。どうしてそこまでやる必要があるのか、部外者には一向にわからない。メディアとして影響力が出てくるのは喜ばしいが、このようなのはメディアが変な権力になっているようで、マヤさんらしくないと思うがどうだろうか。

 「漂流画報」は記録としての価値も高く、時が経てば経つほどその価値はさらに高くなるだろう。
 「現場配布」の原則にこだわる気持ちはわかるが、これだけすごいものだから、「オンライン化もしない予定。現場に来やがれ。」(前述の「福岡演劇事情」)などとつっぱねず、1年以上経ったものでもいいからインターネットでの公開を熱望する。それがだめならせめてバックナンバーを全部読めるように配慮していただきたい。福岡市芸術文化振興財団の資料として閲覧できるようになればありがたい。

 いろいろ書いたがそれだけ楽しみにしているということだ。ずっとずっと続けていってほしいと思う。


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