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《2001.10月−1》

真正面から南北
【四谷怪談 (県民創作劇場2001)】

脚色・演出:日下部信
3日(水) 19:00〜21:50 ぽんプラザホール 3本通し券3500円


 南北の世界に真正面から取り組んで、後半、密度の高い場面を作り出すことに成功している作品だ。

 長い作品を日下部信がどんな視点で切り取るかに興味があった。ここで日下部は、どう手を加えるかよりも、どう肉薄するかに主眼をおいて台本化しており、「あまり脚色と称して話をねじ曲げていく気にはなれませんでした」と言っている。換骨奪胎して貧相になることを避けたのは、この場合賢明といえよう。

 前半は早足でストーリーを追っかけるため、練り上げられているというのには遠く、チグハグな印象を免れない。初日に見たのが間違いかと思わせるレベルで、どうなることやらと心配したが、しかしそれらをきれいさっぱり忘れさせてしまうほど終盤は充実している。
 それは、原作(岩波文庫版)の第四幕をじっくりと見せることで人間の業をドラマの中心に据え、死んだ幽霊ではない、生きた人間のドラマを強調した。超自然現象はあるが、おどろおどろしいものではなく、それが主目的にはなっていない。むしろ、お岩をさえ狂言回しにしてしまうという徹底振りが新しい。

 第四幕の筋は、概略つぎのようだ。お袖と直助と与茂七との込み入った関係を清算するのに、お袖はニ人が自分を殺させるように仕向ける。夫与茂七の仇を討ってもらうために直助に体を許した日に、生きていた与茂七が表れる。板ばさみのお袖は、うまく仕向けて二人に殺されるが、実はお袖は直助の妹だった。この筋の中に、人間の痛切な思いがいくつも痛いほど込められている。
 歌舞伎の上演のように一幕だけの上演がやりにくいので、第四幕のためにわざわざ通しで筋を追ったようにさえ見える。この作品は結局その三人の思いに焦点を絞り収束させていく。

 この幕を見ていると、作品の密度は外見的なものではなく、ぐいぐいと引き込んでいく内面的な密度の高さだということがよくわかる。南北の書いた世界をよく形象化しており、賞賛に値する。
 もう30年以上も前、名古屋の大須演舞場で見た、若手による小歌舞伎の通し狂言「四谷怪談」で歌舞伎のすごさを教えられたが、ほとんど忘れていたその時の生々しい感覚が、これを観ていてよみがえってきた。

 演出は、グロテスクを極力排し、ねちねちとした暗さを薄め、スピード感あふれた舞台を作っている。それでも3時間近い上演時間となった。表現には、女形の表現などの歌舞伎の手法は使われず、人物も、刀は差しているが現代人の感覚だ。現代劇といっていい演出だ。
 俳優は、草野千裕がいい。しかし全体的には、あえて俳優に挑戦させるつもりか、キャスティングには違和感があり、全体的にうまくはまっているようには思えなかった。

 この公演は、ステージ数が多いにもかかわらず、満席の日が多い。名作の上演という効果のほか、県民創作劇場として定着してきたことが観客増につながっているのではないだろうか。もちろん、作る人の努力が第一だ。
 県民創作劇場2001は、若い人が古典に取り組めるのがいいと思う。定着してきているのが喜ばしい。


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