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《2001.10月−3》

中国現代劇の日本的上演
【長江−乗合い船− (東演)】

作:沈虹光 演出:鈴木完一郎
6日(土) 13:30〜16:10 ももちパレス 3800円


 じっくりと練り上げられ、リアルさを積み上げて、叙情的なみずみずしさにまで達している舞台だ。
 中国人作家の作品だが演出のためもあろう、翻訳劇とは思われないほど日本的な作品になっている。

 武漢の、団結団地というニ世帯同居住宅に入居している、元教師の独身女性と公務員夫婦の話だ。
 折り合いが悪いかれらは、公務員夫婦が元教師・方先生を追い出そうと花婿募集の広告を出し、それに応じて高という船長が訪ねてくる。一方公務員夫婦は、妻が自営業の元恋人と商売を始めようとしており、一触即発の状態だ。元恋人の深夜の呼び出しに応えて外出した妻の帰宅を受け入れるように迫るなかで、高船長の不倫の妻を許せなくて離婚した過去がわかる。
 2組の男女のわだかまりが解けたが、最後の航行に行った船長は帰らぬ人となる、というストーリーだ。

 無駄がないストーリーだが、人物はていねいに描かれ、社会状況も団結団地や自営業や老人問題など取り込まれてはいる。
 しかし描かれたことが現代中国独自かといういとそうでもない。人物も、一見自己主張の塊と見える方先生は愛嬌があり、登場人物がインテリ中心のせいもあろうか、どっちかというと全体的には控えめで、中国人らしい強烈な自己主張をする人はおらず、そのあたりが日本的と見える理由である。
 そのまったく日本人としても違和感がないこと、中国的でないことが逆に気になる。中国でどのように上演されているのか、たぶんもっと乾いた演出ではないかという気がする。

 これまでの国家責任から、自営業などの自己責任に移りつつあることを前提に、個人の責任をベースにした人物の感情の動きをていねいに描いており、恋愛劇の要素も強い。終幕は、船長の死が方先生に告げがられていれば映画「慕情」そのものだ。

 う〜ん、なかなかまとまらない。
 この作品が中国現代戯曲のなかにどう位置づけられてわからないと書きにくいが、今回の作品に即していえば、中途半端だが以上のような感想をもった。
 ほんとうに久しぶりの東演で、福岡市民劇場10月例会作品だ。


劇団東演制作部の 高橋俊也様 からいただいたメールを以下に掲載します

0)
 『長江−乗合い船』の感想をアップしていただきありがとうございます。
 東演ではHPの管理を、その方面に長けた劇団員が行っております。現在静岡演鑑連をツアー中のメンバーにしてHP制作チームより、薙野様の件を知らせていただき、制作部から返信するよう依頼を受けました。
1)
 タイトルの『中国現代劇の日本的上演』に、すべてが集約されていると思いますが、初期の財産演目『どん底』の頃から一貫して、東演は翻訳劇を日本的に、創造してまいりした。
 本作でも演出の鈴木氏以下、誰一人中国での芝居は観ていません。が、作家の沈さんとは制作・演出ともかなりのディスカッションを重ねており、その結果の“日本的”上演になっているのだと思います。
2)
 そんな中で印象に残ったのは、高船長の死にまつまるエピソード・・・。
 日本での上演後の感想でも多く聞かれる「死なないで欲しい」の声は、実は中国でも強く、というか強すぎて、創造側がカットして上演した例も多いそうです。
 北京、上海の大都市では日本で言う小劇場も台頭していますが、基本的には都市ごとに劇団があり、その劇団がその都市で公演しています。伝統劇がまだまだ人気で、話劇(現代劇=新劇)は後塵を拝しているそうです。
 『長江』は、作者の沈さんの所属する武漢では、勿論、船長は死にましたが、数々の賞を受賞したことで、他の劇団でも上演された際、ハッピーエンドで終わったところがあったそうです!けれども、沈さんは、ここは絶対譲れないのだ!と、言っていました。
 (実は僕個人もハッピーエンド派だったのですが、繰り返し上演するうち、作家の言葉が心にストンと落ち、今は肯定派です。)
3)
 薙野様の“中国現代戯曲の中でどう位置づけられているか”の問いに答えるなら、94年曹禺戯劇文学賞、95年中国演劇賞主要六部門を制したヒット作品にして、現代を切り取りながらテーマとしては普遍的な作品・・・という、イマヒトツ面白くない優等生的回答になってしまいます。
 また、観てはいませんが、当然身振り手振りから台詞の抑揚等も、かなり激しいであろうことは想像に易いです。“中国人らしい強烈な自己主張”もふんだんに盛り込まれ、ケンカのシーンなどは丁々発止で、言葉のわからない者でもきっと、大笑いできるでしょうネ。・・・四声の歌うような抑揚と破裂音の多い中国語の特徴が生きて!
4)
 以上の点を鑑みた上で、やはり東演としては、欧米翻訳作品でついつい陥りがちな、西洋人の身振り手振りの再現が作品のおもしろさをマイナスに導くことは避け(3の回避)、作品の根っこにある普遍性を伝えることに全力を傾けました(2に傾斜)。
 理想としては、それにプラス、中国の生活というか、匂いというか、そういうものも客席にお届けできれば良いのだけれど・・・。それは課題として、今後の精進を重ねた末に、とは思っております。

 たいへん長くなりました。
 まだ制作部に入って五年の若輩者で、どこまで思いに応えられたかわかりませんが、まずは一報まで。
 薙野様の文章の最後に“ほんとうに久しぶりの東演”とありましたが、劇団員一同がんばっておりますので、次回は近々にお会いできれば、と思っております!

2002年5月  劇団東演制作部 高橋俊也


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