重い問いかけがありながら、軽快でファッショナブルという第三舞台の世界を堪能した。
94年に上演された「スナフキンの手紙」の裏返しとも言える作品である。
「スナフキンの手紙」の舞台で「もうひとつの世界」からこの世界にやってきた人たちが、インターネット上の掲示板に書かれた「『スナフキンの手紙』あります」というメッセージに惹かれて集まり、「もうひとつの世界」に帰って行く、というストーリーだ。
と書くと単純なようだが、もうひとつの世界を常時意識させるという重層的な状況設定に加え、「スナフキンの手紙」というキーワードの謎解きを、霊視などによりミステリータッチで引っぱる。
また、「もうひとつの世界」は、そこから来た人のみならず、われわれにとってもどうなのかという問いかけがなされる。「もうひとつの世界」はわれわれにとって、なくなったが、しかしありえたかも知れない世界としても描かれる。そしてその世界へのいとおしさが基調に流れている。
そのように、仕掛けもコンテンツも十分で、ぐいぐいと引き込まれる鴻上ワールドが展開することになる。
かれらが帰って行く「もうひとつの世界」は戦いに満ちた世界だ。だから戦う者を鼓舞する「スナフキンの手紙」が要るのだが、この世界に向けての「スナフキンの手紙」は結局、必要がなくて成り立たず、存在しない。
そのことを通して、この世界の闘いがないことはいいことなのか、という問いかけがなされる。本音が言えない、しかし匿名での悪意が飛び交う世界がいいのかという問いかけは重い。
そこまで描きながらも、「もうひとつの世界」はほんとうにあるのかというあいまいさは残す。
さらに、あってほしかった想いの強さが「もうひとつの世界」を作り出すことのみならず、もうひとりの自分に会うということまで語られると、「もうひとつの世界」がこの世界と交錯しているのかもしれないという思いにとらわれる。日常の想いが大きな意味を与えられ、自分の生を意識させられることになる。
演出について言うと、鴻上ワールドには、常識的な表現がことごとく裏切られる心地よさが充満している。極彩色の着ぐるみによる滅び去った動物たちの表現のなんと明るいことか。にもかかわらず、その踊りはなんと哀愁に満ちていることか。
第三舞台は創立20周年、この作品で劇団活動を10年間封印するという。
早稲田大学内のテントに観に行って、主役の事故死で公演中止となっていてすごすご帰ったということがあった。その頃からのファンとしては、役者は歳をとっても第三舞台らしいテンションを維持しているのはうれしい。
それにしても、大阪では近鉄劇場なのに、何で福岡はメルパルクなんだろう。1000人未満の劇場で見たかった。