黒テント代表・斎藤晴彦さんの、PETA(フィリピン教育演劇会)との交流を中心としたアジア演劇についての話が面白かったので、演劇の公演ではないが、その概略と若干の感想をまとめておく。
まず、それまで「喜劇・昭和の世界」シリーズ等でとことん日本と昭和にこだわってきた黒テントが、アジア演劇と関わった経緯が語られる。
金芝河の「糞氏物語」に取り組み(1978年)、インド農村演劇会議への出席(1978年)を通してPETA(フィリピン教育演劇会)と知り合う。PETAの特徴について斎藤さんは、屈託のなさ、スケールの大きさ(裏を返せばアバウト)という。ATF(アジア演劇会議)などを通して交流は続くが、いっしょにやることは恐いとして、合同公演の話はなかなか出なかったらしい。
ようやく1996年になっていっしょにやろうということになり、「ロミオとジュリエット」を翻案したものに取り組む。
1997年11月に日本で上演したとき、日本語とタガログ語の飛び交う舞台で斎藤さんが感じたのは、芝居が持っている感情の表現により、言葉を超えたコミュニケーション(言葉はわからなくても人間はわかる)だったという。観客の、半分はわからない言葉の部分を必死でわかろうとする集中力と、想像力の広さが創りだす磁場の強さに驚き、人間の感情は言葉ではないことを実感している。
斎藤さんの話で感動的だったのは、感情を共有した観客との交流会で、タガログ語で話しているのを通訳なして日本人に通じたというエピソードだ。
日本人だけの上演ではわからなかった、言葉だけのコミュニケーションでは抜け落ちてしまう言葉の奥にあるものによって、芝居本来の霊感に満ちたエネルギーが引き出されていたという。
その作品の上演を通しては、観客との交流やフィリピンの元慰安婦との会見などで社会的な経験も大きかった。旧日本軍の本部もあった城砦跡での公演で、登場した日本兵へのフィリピン人の驚愕は、戦争被害者だけが感じることのできるものであったのではないかと思う。
そして斎藤さんは観客の素朴な口から、「あの人(天皇)はずーっといるんでしょ」と言われて、「子の代になっているがずーっといる」と答えながら、結局日本の戦後は戦前と何も変わっていないことを確認することになる。それは、それまで取り組んできた「喜劇・昭和の世界」のテーマでもあった。が、斎藤さんはそう簡単に都合いいように落とし前をつけることはしない。
一歩立ち返り、アジアとつきあっていくには、昭和とか革命とかという言葉ではなくて、生活感覚を芝居で表現できるようにならないとうまくいかないという。
素朴な人間の生活が本来の人間の姿で、それが芝居のひとつの要素であり、ITなどの人間の存在証明がぶっ飛ぶようなものは芝居と対立するものではないか、という提示なされて講演は終る。
あと、「トルコ風呂の歌」と「翼を燃やす天使たちの舞踏のテーマ」の2曲を歌ってくれた。トルコ行進曲に歌詞をつけた「トルコ風呂の歌」には笑い転げたが、その歌詞はどこをとっても反骨精神の塊だ。アカペラの「翼を燃やす天使たちの舞踏のテーマ」は当時の雰囲気を感じさせた。
交流会では斎藤さんと、「赤目」や「トラストDE」などの自由劇場の舞台の話をした。自由劇場から黒テントに至るアングラの輝きは素晴らしいものがあった。話しながらその頃のことをなつかしく想い出した。