感動させてやろうというひたむきさがこぼれ出ている作品で、女優2人のやりとりはそれなりに見ごたえがあり共感するところもあるが、不満もまた多い作品である。
1年前に死んだ男をめぐり、恋人・美佐子と血のつながらない妹・いつきとの確執を描いているが、結末は初めから想定できるという作品だ。
前作の「東京ヤングHOTEL」はファンタジーであり、一応は楽しめる作品になっていた。
今回の「アスナロ」は、リアルをめざさせられながら徹しきれず、ファンタジーの尻尾をつけたままの作品という印象を持った。
ファンタジーなら少々の飛躍や矛盾にも眼をつむれる。
しかし、リアルをめざした作品となれば、そのあたりがそうはいかなくなる。
そこで、ドラマ・ドクターとして松田正隆がどう絡んでいるのか気になった。というのは、ふわっとりんどばぁぐと松田では、もともとめざしているものが違い、行き方として相容れるとは思えないからだ。そこがどうぶつかり、何が生まれたのか。
観た感じでいえば、もともとファンタジーとして書かれたものを、無理にリアルをめざした演出にさせられたように感じた。その形跡をみていこう。
この戯曲にはもともとリアルさを無視したようなところがある。
いつきが最も大きな攻撃材料である美佐子の横領のことを美佐子攻撃に使わないこと。いくらなんでもこれは考えられない。
家具も売り払わなければならない状況で、いつきは学費をどうしているのだろう。一流企業に入るほど猛勉強していることが納得しがたい。
賢一の就職内定が取り消された時、大企業の重役があいさつにきたということが話されるが、そんなことはあり得ない。
6歳のとき養子にきた賢一をいつきは追い出そうとしたというが、そのときいつきはいくつだったんだろう。・・・等々。
そう、これは、リアルを積み重ねて真実を表現する松田の戯曲とは質的に違うのだ。
松田は、登場人物に愛や希望を直接話法で語らせることはない。
この作品は、登場人物に直接愛や希望を語らせることで却って言葉の弱さを露呈し、やや薄っぺらな感動の押し売りになっているところは不満だ。
しかし、全体的に過剰な演技を抑止したことによって、ぎりぎりのところでリアルな作品として成立している。そういう面ではこの劇団の新生面を拓いたといえる。
演技以外のところでは、大事なところのていねいな描写がないことが不満を残す。電話の音は隣の部屋かと思うし、稲妻は光りっぱなしだし、手紙はホチギス止めだし・・・等々。
戯曲の段階から徹底的に松田流にやれば、劇団の表現の幅をさらに広げることになったはずだ。この作品でファンタジーの尻尾が若干残るのは、しかたのないこととあきらめるしかないのだろう。