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《2001.11月−1》

よく描けた明治の福博
【福博桜館 (轍WaDaChi)】

作・演出:日下部信
2日(金) 19:00〜21:00 大野城まどかぴあ小ホール 1500円


 人物のほんとうの姿が顕わになる終幕の盛り上がりがよく、鳴り物を使って多彩に表現していて、楽しめる作品にはなっている。
 主役は、その日記だけしか舞台には登場しないが、女傑・高場乱だといえる。登場人物の高場乱への思いが、幕末から明治にかけての博多の状況とともに語られ、事件を引き起こしていくことになる。そこのところは、典型的な人物を配してよく描けている。
 それらを評価した上で、不満だけを列挙してみることにする。

 まず、全体のバランスだ。一場集中主義か、集中された場は見せるが、特に前半が弱い。個性的な登場人物だが、その描きこみは必ずしも十分ではない。後半の重要な伏線となる徳永の思いが、当時の状況とあわせもっとくっきりと浮かび上がった方がいい。
 親子対面の芝居の仕掛けもねらったほどの効果を上げていない。

 つぎに、スタンスがはっきりしないこと。井上ひさし調に突然低レベルの受けねらいが入ることには抵抗がある。楢崎の「なんちゃって」、徳永の「白線の内側」、柳の「話にからまない」独白、さらには登場人物全員による突然のシュプレッヒコール調の語りなど、流れを壊すことはあっても表現を広げることにはなっていない。同様なレベルで、最後の順吉の取ってつけたようなセリフも白ける。

 いちばんの評価点でもある高場乱と当時の福岡藩の状況をドラマにからませていることについてだが、亀井塾−高場塾−玄洋社の思想の流れと、神風連・萩の乱・秋月の乱等の事件との関係をもうひとつくっきりさせてくれるとよかった。福岡藩の特異性とその原因、薩長にならなかったことの評価をさらに盛り込んでほしかった。
 その中での旧藩士・徳永の立場がわかれば後半の行動がいっそうよくわかるとともに、やはり旧藩士で密偵となった津田との対比もさらに際立つことになろう。ここでは津田の人格分裂の経緯の表現が簡単すぎて、そのピストル自殺はやや唐突に思えた。

 会場設備のせいか、舞台に明治の雰囲気は薄く、背後に福博の街をイメージできない。劇場機構のことはわからないのでなんともいえないが、「スズナリ」や「シアタートップス」での芝居の濃密な雰囲気が出ないのはなぜだろう。

 俳優についても明治人の印象は薄い。それにしても轍の俳優は演技が硬すぎるのではないだろうか。人物の読取りと、その最も効果的な表現について、もっと自由に発想し議論した方がいい。毎回違ったキャラで楽しませてくれる前里英一も、今回は膨らまし方と膨らます方向を間違えているとしか思えず、どぎつさばかりが残った。
 轍の俳優と対照的な軽妙な演技の、客演の光安和幸に救われていたところは大きい。

 日下部信の代表作と目される「ひびきの石」と「福博桜館」のうち、やっと1本が観られてその実力もわかってきた。どんどん新作を発表してほしいと思う。


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