説教節「をぐり」はドラマティックなストーリー展開であるが、このひとり芝居はドラマティックなところを無理に強調していないことで、ゆったりとした心地よさを与えてくれる。しかしそれは決して迫力がないということではない。
「をぐり」は、殺された小栗判官の甦りと、妻・照手姫の流離の物語である。あり得ないと思われるような展開のなかに、庶民の幸せへの情念が込められた作品であり、メロドラマとしても超一級である。
ふじたあさやの台本と演出は、そのストーリーの勘所と中西和久の持ち味を絶妙に組み合わせる。
それらを受けて中西は、「語り」と「謡い」と地のままの「解説」をとりまぜながら、悠々と迫る演技だ。
「謡い」は、気分への導入と全体的な雰囲気の盛り上げに使われる。しかし情に流されるところまではしつこくない。
「語り」は、ストーリーの展開に使われる。一気に持っていく必要がある場合には、さらにハイテンポの講談まで使う。
ときどき入る「解説」は、観客に地で語りかけて理解を助けるとともにストーリーを進めるのにも一役買う。
中西の演技はそれらをテンポよくこなしていく。スピーディな展開だ。
研ぎ澄まされた装置と照明、場面に合わせた音楽も中西の演技を後押しする。
それらが統合された舞台はそれでも、決して矩を超えて情に訴えかけることはなく、どこまでも知的だ。それがこの作品の最大の持ち味だ。
中西のひとり芝居は山鹿の八千代座で観た「しのだづま考」に続き2本目だが、演技的にはいちだんとこなれてきたという印象だ。
「をぐり」については、かって観た遠藤琢郎による「小栗判官照手姫」(横浜ボートシアター)は衝撃的な舞台であった。また、梅原猛・市川猿之助によるスーパー歌舞伎「オグリ」の迫力もすごかった。
私にとってこの作品は、それらに続き「をぐり」の世界をさらに広げた作品となった。