首都圏にいたときはオリジナル中心の観劇のため、デビッド・ルヴォーの演出作品は今まで観たことがない。今回の久しぶりの上京にあたって、ルヴォーの1年半ぶりの新作というので、その演出ぶりに触れたくて観に行くことにした。
ルヴォーの演出技術について西堂行人氏は、世評は高くともヨーロッパのごく普通の演出家のレベルだという。しかし評価が高い証拠には、長谷部浩氏のルヴォー論の書物さえあるくらいだ。
いずれにしろ、自分の目で確かめるしかない。
その柔軟で切れ味のいい表現がすばらしく、大変楽しめる作品である。
性を通して男女の愛を見つめる挑戦的な戯曲だ。
もとになったシュニッツラーの「輪舞」がウィーンで発表されたのが1900年。それをもとに「ブルールーム」は、時代を現代に移して、男女二人による愛のシーンを10シーンつなげて、エロチックに性と愛を描いている。
男5役、女5役を二人で演じる。少女とタクシー運転手からスタートして、シーンごとに男女いずれかが入れ替わり、10シーン目には最初の少女にもどる。すなわちロンド(最初の映画化のときの題名)なのだ。
もともとどぎついセックスの話だが、脚色と演出でそれにいたる心の動きのエスプリを抽出してきていて、きらめくような作品になっている。
そのエスプリを抽出して舞台に定着する過程が演出かと思う。
メリハリとテンポがすばらしい。
メリハリは、よけいなところを削ぎ落とし、強調すべきをきちんと強調する。セックスに至るまでの男女の微妙な駆け引きの、繊細でいながら芯の通った表現はみごとだ。
テンポについては、舞台の直径5メートルほどの回り舞台をうまく使ったスムーズな転換で、流れを中断させないのが効果的だ。場面転換のとき、舞台の上でも衣装替えが手際よく行われるのも見ていて楽しい。
内野聖陽もいいが、秋山菜津子の柔軟な表現力には驚くばかりだ。
結局、衣装、装置、照明なども含めて総合的に、ルヴォーの研ぎ澄まされたセンスが光る作品だ。
それはわかるが、それが演出技術かということになると、どうなのかよくわからない。