多層的な構成で面白いところもあるが、相変わらずのわかりにくさだ。
観客をほとんど視野に入れない芝居作りとしか思えない。12月末発行の演劇批評誌「N.T.R.」の第3号に「福永郁央の作劇法にもう一段の面白さを」と題して前回公演の批評を書いたのはそのあたりが気になっていたからだ。
発想の面白さはあり、言葉の魅力もあり、俳優もレベルが高く、独善的というわけでもないので、作品が狙った普遍性に私が気づかないだけなのかなと不安にもなる。
しかし、わからんものはわからんというしかない。
近未来の都市の廃墟に残された図書館が基本となる層の舞台だ。現体制の崩壊を江戸幕府の崩壊と重ねて、新撰組の名を冠した俳優がジタバタするのだが、脱出のためのロケットが失敗で落ちてきて世界は崩壊する。
その上層にあるのが天体の層だ。新月や半月や三日月や満月がめくるめく繰り返され、青空の一部を切り取るカメラのシャッターのイメージだ。
基本の層の下層にあるのが俳優の地の層だ。この部分はけっこう多く、わざとストーリーを中断させたりする。
この3つの層が豁然としていないで一瞬にして飛ぶし、場合によっては入れ混じるからついていくのは大変だ。おまけに俳優のことばで語られることも多く、情報量が多い分消化不良になる。
この世界の破壊と破滅と戦うことが語られるが、再創造への希望は語られない。福永の現在の世界へのこのような思いを感じとることはできる。
メガネを忘れたために最前列に座ったら、観客の笑いのリーダーにさせられてしまった。私の後ろの男性は大笑いだが、観客の温度差は大きい。
それにしても、K2T3、PA!ZOO!、あなピグモ捕獲団とどれも、私の観た回はわずか100席の会場に半分以下の観客だ。
なぜ観客が増えないのだろうか。それとも、「青年団」や「燐光群」の東京での観客数から考えれば福岡ではこれが妥当なのだろうか。