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《2002.6月−4》

古さ、陳腐さが●モロ
【クローサー (アントンクルー)】

作:パトリック・マーバー 演出:安永史明
7日(金) 19:00〜21:45 ぽんプラザホール 1800円


 アントンクルー第3回公演の「クローサー」は、この集団の古さ、陳腐さがモロに出ていて、「気の利いた高校生の方がもっと面白くやるぜ!」というレベルだった。失敗作というよりも、挑戦を避けたとしか思えない舞台で、期待していただけに失望が大きい。

 この公演は待ちに待った。
 というのは、この公演の関係者が1999年の東京公演を評して「大失敗の東京バージョン」と鵜山仁演出をこき下ろしていて、この公演を「クローサー再デビュー」とまで言っている。その心意気といい、事前にイベントまで開いて戯曲の魅力を語り合っていることからも、期待は高まるばかりだった。
 キャストが発表されたときには「大丈夫かな」という気がしないでもなかったが、それでもワクワクしながらきょうを待って、いそいそと劇場に駆けつけた。

 しかし、観劇している2時間半の間、イライラのしどおしだった。
 それは、期待がひとつひとつみごとに裏切られていくことによるイライラだった。そして、どうにもならない空疎さが残った。
 関係者の思いとは裏腹に、余りに欠点が目立った舞台だった。「クローサー再デビュー」とは大言壮語だ。オリジナルなら話は別だが、面白い戯曲があったから上演するだけのことなのに理由もなく嬉しがっていてゴタクを並べているのは、今となっては身の程知らずの空威張りだったことがはっきりして、みっともないを通り越して醜悪でさえある。恥を知れ!と言いたい。

 いちばんの問題は、戯曲の掘り起こし不足だろう。
 これがほんとに多くの賞を取った戯曲なの?という感じさえして、戯曲をみごとに壊しているとしか思えなかった。どういう風に壊しているのだろうか。
 この戯曲は、切れ味がよくて含蓄のある象徴的な短い会話をテンポよく積み上げた典型的な状況の12のシーンを繋いで、男女4人の「くんずほぐれつ」ともいえる愛の変転を描いている。
 それぞれのシーンで大きく変わっていく状況が示されるのだが、この舞台ではキーとなるセリフも無造作に語られ、それぞれのシーンが際立たず、結果シーンとシーンの間をイメージできない。いかにも平板という印象になってしまう。
 戯曲の掘り起こしの弱さに加え、演出上のアイディアがなさ過ぎるしあっても古臭すぎて、戯曲を膨らませるどころかその瑞々しさを殺してしまっている。例えばダンとラリーのチャットの字幕(!)での表現のように戯曲のアイディアの足を引っぱっているところは多い。
 そのようにわざわざ戯曲と観客との間に高くて厚い壁を作ってしまった。戯曲の字面を自分で追っていったほうがよほど面白いだろう。

 戯曲の掘り起こし不足は、この舞台全体をほとんど決定づけている。
 俳優たちのなんという素朴なしゃべりだろう。メリハリなどありはしないし、会話のテンポなどどこ吹く風のマイペースで、突っ込まず互いにからまず、あんなんではとても情を交わすところまで行くわけはないと白けてしまう。個性も陰影もない人物がただ状況に流されて行くだけとしか見えず、舞台に全然引っぱり込まれない。
 全体に俳優の表現の幅が狭すぎる。なかでもラリーは、こんな男とセックスする女の気が知れないと思ったほど中年男の色気など感じられず、完全にミスキャストだ。アンナもやはり色気不足で、人物に実年令が近い女優が演じたほうがよかった。
 俳優自身が魅力的であれとまでは言わない。しかし演じる人物の魅力が表現できる俳優でないと困る。

 欠点ばかりをあげつらうつもりはないが、気になったことをもう少し。
 美術のセンスが悪く、なんとも立体感に乏しい舞台だ。大道具など変なところでリアルだったりとバランスがよくないし、重苦しい。チャラチャラと開け閉めされる幕も興ざめだ。この舞台の装置だと、平ベンチ2個、テーブル1個、椅子2個のシンプルな道具をうまく組み合わせるだけで可能で、幕は当然要らないと思ったが、それは素人考えだろうか。
 そんなことから場面転換がスムーズとはいえず、この作品の重要な要素であるテンポが犠牲になった。音楽も照明も中途半端で、場面の情景を強調することはなかった。

 以上のように、俳優たちの突っ込んだメリハリのある演技に引き込まれ興奮することを期待していたのに、舞台に触発されることはなく冷静なままでイライラだけが募った。
 教養主義的で演劇的EQが低いこの集団の傾向が現れすぎての陳腐な舞台だが、それが本番まで修正されることもなく上演されるようじゃ、いかにも高そうに見える演劇的IQだって見せかけでしかないことがわかる。いずれにしても、頭が硬いうえに審美眼も神経もおかしいのは間違いないようだ。もっと柔軟な発想で、演劇本来の面白さに目覚めてもらったほうがいい。

 きょうは前売り・予約で満席で、当日券なしという人気だ。観客には演劇関係者が目立つ。
 欧米の新しいストレートプレイを観る機会は少ないから、そういう面ではこの上演はありがたい。しかしこの公演、述べてきたような舞台だった。期待が大きかった反動もあって、何ともやるせない気持ちだ。


【追記 2002.6.25】
 この公演の監修者の方からメールをいただいた。
 その監修者の方の「クローサー」への強い思いが東京バージョンへのきびしい感想となり、それがホームページ上に残っていたことがわかった。私には東京バージョンへの感想がこの集団全体の意見と見えたために、この感想の語調が険しくなった。
 経緯はわかったが今さらその部分だけ書き直すことは無理なので、この感想についてはそのままにしておく。


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