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《2002.6月−13》

歌舞伎のしゃべりとは△どういうものだろう
【頼朝の死 (松竹・博多座)】

作:真山青果 演出:真山美保
23日(日) 11:00〜12:35 博多座 1890円


 頼朝の死因が明確でないことから、その死因を想定して書かれた新歌舞伎の名作と言われる真山青果の戯曲を、娘の真山美保が演出した作品だ。
 将軍頼朝が女装して夜這いに行っているところを警護の家臣に斬られて死んだ、という想像で書かれた。斬った家臣と夜這いをかけられた奥勤めの女が恋仲という設定で、事の真相を知らない二代将軍頼家が家臣から真相を聞きだそうとする。

 幕開きの群集シーンは新制作座の舞台を観ているような趣だが、全体的には歌舞伎らしいしつこさが出ている。
 それぞれの人が立場に縛られて動けない様とそれぞれの人の思いを、思い入れたっぷりに描く。その思い入れの表現に、普通の時代劇よりもさらにしつこく強調した表現である歌舞伎の特色が出ている。

 これを観ていると、歌舞伎のしゃべりとは何だろうと考えさせられる。
 独特の抑揚をつけたしゃべりが歌舞伎の表現方法だとすれば、役者はそれをたよりに自分の役を表現しようとする。デフォルメされるが特徴ははっきりとする。
 そのあたりが普通の時代劇との差かもしれないが、むしろ普通の時代劇の方が歌舞伎の影響を受けて、歌舞伎に近づいているのかもしれない。

 歌舞伎独特のしゃべりはけっこう聞き取りにくいし、役者個人の差がけっこうあらわれるように思う。
 強調すべき言葉が埋もれ、どうでもいいセリフと混在するのでわかりにくくなる。新歌舞伎なのにほとんど何を言っているのかわからない役者もいたが、これは歌舞伎のしゃべりかどうかというよりは役者個人の技量か考え方の問題かも知れない。

 頼家を演じた梅玉の横顔が気品があっていい。飾り物の将軍に飽き足らない苛立ちをうまく表現している。
 将軍にも真相を明かさない政子を、富十郎が重々しくしかし最後にはビシリと決める迫力ある演技で見せる。

 真山美保は懐かしい。初めて観た演劇が新制作座の「泥かぶら」だった。夢中になった。
 このごろの新制作座はなぜかやたら入場料が高いので観る気がしないが、博多座でこんな料金で真山美保演出を観られるのはうれしいかぎりだ。


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