福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ 前ページへ 次ページへ


《2002.6月−14》

「大塚恵美子」を観て☆福岡の演劇を考える
【さいごの晩餐 (夢の工場)】

作・演出:大塚恵美子
23日(日) 17:00〜18:30 スミックスホールESTA(小倉) 2500円


 福岡の演劇は、「ド派手な演劇」からも、そのあとの「静かな演劇」からも影響を受けることのなかった独善的な演劇が主流であると私は思っている。
 それに対して北九州は、平田オリザや坂手洋二などの上演も多く、環境としては日本の最先端の演劇の動向に敏感であり、その影響を受けて作られる作品が多いのではないかと思ってきた。泊篤志だけが突然変異とは思えず、そのような新しい演劇の土壌があるのが福岡との決定的な差ではないかと思ってきた。

 今回「大塚恵美子」の新作を観て、「やっぱり思っていたとおりだった」と確認することになった。
 この「さいごの晩餐」は「静かな演劇」そのものだった。「静かな演劇」だから全面的にいいとは言わないが、この作品ではその理念と手法をを駆使した挑戦がある程度実を結んでおり、その質において福岡の演劇はこの作品の足元にも及ばない、というレベルだった。
 なぜそう思うのか、福岡の演劇と何がどう違うのか、この作品に即して具体的に見ていくことにする。

 損保会社に勤めるツジ(男)とジョウノウチ(女)が同棲しているマンションに、会社で同期のクボタ(男)に呼び出されてヨシムラ(女)がやってくる。ヨシムラはジョウノウチより前にそのマンションでツジと同棲していた。
 まだ着かないクボタを訪ねて大きなおなかを抱えたキムラという女性がやってくる。この女性、事故死した夫と両親の死を認めようとせず、クボタに頼り切っている。キムラは父が飼っていたマサカズという鶏の肉を持ってきている。父は教師で学級崩壊後退職して、最後のクラスの教え子の名を鶏につけて育てていた。

 人物がどのくらいていねいに描かれているか見てみよう。
 例えばヨシムラ。過去の男にこだわっていないところを見せようと、必死でかっこいいセリフを考えてきている。ジョウノウチに張り合う気持ちもある。かって生活していた場所に行くのに穏やかであるはずもない。仕事バリバリの自分を認めてほしいという願望も強い。そのようないかにも神経質そうな性格の彼女の思いを、戯曲は切れ味がよくて若い女性らしいセリフで表現する。
 他の人も同じようなていねいさで描かれている。

 それらの人物の思いが相互にからんで進行するのだが、この作品のすごさは、キムラという女性を登場させたことだろう。
 彼女は妊娠しているわけではなく、事故死した家族とは今もいっしょに暮らしていると思っている。ここで一気にキムラを通してもうひとつ世界のを垣間見せるのだ。
 その彼女が持ってきた鶏を料理に入れてみんなで食べる。そうなると、食べることが単純な嗜好を超えた意味付けがなされている。
 終幕近く、この食事を最後にジョウノウチの入院が告げられる。「さいごの晩餐」の意味がやっとわかる。

 このようなけっこう複雑な構造の作品が、1回の暗転もなしに最後までリアルタイムで演じられるのだ。これはけっこうすごいことだ。
 照明はマンションの部屋らしくという照明だけで、スポットライトなど使わない。音響もリアルさを表す以外の効果を狙うことはない。
 舞台にはキッチンとダイニングがしつらえてあり、開幕前から作りかけの料理が煮えている。鍋の蓋を取るとにおいが客席まで漂ってくる。舞台での食事で食べられる料理は、実際に舞台上で作られたものだ。

 「静かな演劇」とは何だろうか。
 「静かな演劇」とは、「人間関係の細密な描写を通じ、作者の世界観を提示する演劇」と定義されるが、私は、そこにある現実を徹底的にみつめ、変にドラマを作らないウソっぽくない演劇と単純に考えている。
 もちろん単純に現実の一部を切り取ってきただけではドラマが成立しないから、典型的で象徴的なシーンを極端にデフォルメして提示されているのだが、そう感じさせずいかにも現場に密着したとみせる。そこから溢れ出した平行し錯綜する多様で微妙なドラマこそが「静かな演劇」の醍醐味だ。名作といわれるものはその上に、まったく別の大きな世界がドッと押し寄せてくるようなところまでもっていく。
 そういう面ではこの作品はまぎれもなく「静かな演劇」だ。それも高いレベルで成功しているといえる。

 福岡の演劇に目を転じてみよう。
 現実に立脚し、現実に肉薄しているだろうか。劇的な言葉を使わずに劇的に描けているだろうか。変な飛躍などなくてストーリーに納得できるだろうか。普通の人々の普通にある魅力を、魅力あるセリフで捉えきれているだろうか。その普通の人々を生き生きと舞台に現出させているだろうか。
 私には「否」としか思えない。それをはっきりと意識した「さいごの晩餐」の観劇だった。北九州との差は大きい。

 日頃自転車で気軽に劇場まで行っている身としては、北九州は遠い。しかしこの作品は観に行ってよかったと思った。
 それにしても100人強の会場に60人程度と、作品のすばらしさの割には観客が少なすぎる。


福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ 前ページへ 次ページへ