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《2002.6月−18》

ミステリー調☆オイディプス王
【オイディプス王 (シアターコクーン)】

作:ソフォクレス 演出:蜷川幸雄
29日(土) 19:00〜21:30 シアターコクーン(東京) 2500円


 蜷川幸雄のこの「オイディプス王」は、運命がどうの人間の本性がどうのというところにあまりこだわらず、オイディプス王の出自さがしの謎解きを強調した作品と見えた。
 その作り方は、徹底的にダイナミックで、徹底的にわかりやすい。もちろん掘り下げはするがしつこくはこだわらず、グイグイと前に引っぱることを第一に考えている。いままで深刻で難解なオイディプス王を観てきた身には、こんなにすっきりとわかりやすかったのかと思ってしまう。
 そのことが却って運命の残酷さを際立たせるという効果をあげていて、演出のねらいだったことに気付く。

 舞台の正面と両側の3面に天井までの高さの巨大な鏡の壁が作られている。正面の鏡は舞台と観客席を映し、観客をテーベイの市民と見立てる。両側の鏡は向かい合っているため舞台を無限連鎖で映す。そのように舞台は大きな拡がりを持つ。観客は同じ俳優を同時に横の姿、後ろの姿などを観ることになる。
 真実がすべて露わになったとき鏡に亀裂が走り、灰色に曇り、最下部はどす黒い血の色に染まる。
 しかし仕掛けといえばこれくらいで、人間による表現にこだわっている。

 原作のセリフは補填・省略が加えられて、現代的に形を整えている。場面ごとにひとつひとつ真実が露わになる過程を、リズミカルといえるようなテンポで描く。
 コロス代わりの長老・神官と市民代表たちは解説役だ。群集劇としての動きで舞台のイメージを強化する効果はあるが、全員が同時にしゃべることばの何と聞きとりにくいこと。

 主役の演技はどうか。
 演出のねらいだろうか、野村萬斎のオイディプスは重々しさよりさわやかさが目立つような演技だが、その軽さには違和感をおぼえた。舞台の状況は変わるのに、その演技は相変わらずさわやかなままでいっこうに変わらないのだ。英雄らしい剛胆さが足りず、深い絶望も伝わって来ない。ウソっぽくなってしまった。ミスキャストかなという気がする。
 イオカステ役の麻実れいは気品がすばらしい。クレオン役の吉田剛太郎が存在感たっぷりの演技をみせる。

 当日券発売の2時間前に劇場に電話したらすでに50人並んでいるということだった。あわてて駆けつけて1時間半以上並んだが、結局ゲットできたのは二階立ち見席だった。同じ立ち見でも中二階に比べてひどく見にくく、舞台の三分の一は見えない。その分料金も廉い。きょうは鏡に救われて、いちおう舞台全体が見えて助かった。


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