岩松了の世界の面白さに圧倒された。
その面白さは、全体の状況設定、人物相互の関係の妙に加えて、ちょっとした言葉の端々にウィットと、見える見えないにかかわらず施された数々の仕掛けの効果だろう。
俳優も微妙なところをうまく表現していて、作品としては名作といえるようなレベルに達している。
大学時代に「細雪」を上演した仲間が、真理子の七回忌に真理子の実家である旅館に集まる。その夜から朝にかけての話だ。
登場人物は18人で、それこそ人物相関図がほしいレベルだが、作者の岩松了は「すべての人間関係を把握するのに頭を悩まされるムキもありましょうが、わからない時には『なあに、現実とはこんなもの、すべてわかるわけはない』と自分に言い聞かせて下さい。果てに、他人とはちがう、自分だけの物語を読み取ってしまっても全然大丈夫。他人に何を言われるすじ合いがありましょう。『四人姉妹』は見た者の『四人姉妹』です。」と言っている。
わかるところだけわかればいいし、勝手に見てくれ、と言っている。なんという自信だろう。そして確かに、そう言えるレベル以上にきちんと書き込まれ表現されている。
ちょっとしたやりとりと見えるセリフがとても魅力的だ。人物がこだわっていることが現れる言葉の端々を実にていねいに書き込む。そのことで、人物の個性と思いと、人物相互の関係を舞台の上に際立たせる。いかにも自然に見えるそのやりとりから、岩松了が日本のチェーホフと呼ばれるのもわかる。
3組の夫婦が登場するがその1組の夫婦と別の女性との三角関係、死んだ真理子の恋人をめぐる顧問の女性教員との三角関係、そして真理子の妹とその若い義母との確執、それらのことがわかってくる。
広いベランダを持つ2階が舞台で、祭壇は終幕近くまで障子でさえぎられて見えない。階下で食事をしたり話をしたりしていて、2階は人物の本音が現れる場所だ。そういう設定がじつにうまい。
一夜明けて朝になって、変わったものも中途半端なものもそのままに、七回忌が終わったから芝居も終わるとというような投げ出されたような終わり方だ。
真理子の思いは語られてもその死因は観客にはわからないままだし、三角関係や確執が解消されたとも思えぬままに放置される。人物は確かに変わっているのだが、それが決して完結ではないという描き方なのだ。
俳優たちは役どころを押さえたきちんとした演技だ。18人がみごとに高いレベルなのには驚いた。
この作品は1996年に藤原新平演出で初演されていて、今回は作者自身の演出による再演だ。
岩松了のすごいほどの面白さが、ほんとうによくわかった。