*** 推 敲 中 ***
よくできた脚本だ。
偶然だらけで、通常なら駄作と断じられかねないような作品とも見えるのに、そのものすごい偶然をいかにもという仕掛けで現実とも思わせる筆力がすごい。いかにもと思わせるのは、警部を名乗る男の謎めいた不確実だが自在な存在感によっている。男に揺さぶられて、登場人物同様に観客も男の話を現実のことと信じ込まされてしまうのだ。
昭和15年、実業家・倉持幸之助の娘・沙千子の婚約の祝いの席に、警部と名乗る男が来る。ひとりの女が自殺した。それは、幸之助が解雇した女、沙千子が告げ口をして新しい勤め先をやめさせた女、沙千子の婚約者・黒須が関係を持った女、幸之助の息子・浩一郎が会社の金を盗んでまで助けようとした女、そして幸之助の妻が慈善団体に助けを求めてきたのを一蹴して追い払った女だというのだ。
それが分かる過程で人物それぞれの真実が露呈する。全員何らかの形で女の自殺に責任があるのだが、その責任の認識の違いを通して、家族の生き様があぶり出される。
1991年に上演時、八木柊一郎の脚本で時代を昭和15年とした。戦争直前の典型的な時代を設定することでイメージしやすくしたことがうまくはまった。
セリフは簡潔で的確なのを、演出はデテールまできちんと表現し、演技もそれに応えている。エゴがぶつかりあい変転する様が手に取るようにわかるレベルだ。原作のおもしろさがとことん引き出されているのではないかと思う。
すべてが明らかになって警部が帰ってから全体が大きく揺らぐ。影山という警部は警察にはいないこと、そして運び込まれたとされる病院に女性の自殺者などいないことがわかる。
世の中に迎合し自分の保身のことばかりしか考えない幸之助と妻、黒須の三人は大喜びだが、沙千子と浩一郎はそのことで罪が消えたとは思わない。俗物たちの底の浅さが見えてしまう。
そしてさらに、もう一回どんでん返しが待っている。
鈴木瑞穂、稲野和子の演技は、いかにも新劇伝統の演技の伝承者あるいは生き残りというという演技だ。重箱の隅までほじくったようなきちんとした演技だが、どこまで肉薄しても形優先の原則は守られ決して則は越えない。
オーソドックスなこの脚本はそのような演技と相性がいい。
原作戯曲「AN INSPECTER CALLS」は1945年に発表され、1951年には内村直也の翻案で当時の日本に移しかえて上演されている。
この舞台は古きよき時代の新劇の雰囲気をもった作品だ。福岡市民劇場10月例会作品で、福岡での上演は18日まで続く。