福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ 前ページへ 次ページへ


《2002.12月−10》

人を殺す訓練を受けた人が☆★☆見つめる今
【MAKOTO (エル・カンパニー)】

作・演出:今井雅之
11日(水) 19:10〜21:45 西鉄ホール 5000円
17日(火) 19:00〜21:40 西鉄ホール 招  待


*** 推 敲 中 ***

 自衛隊は人を殺す訓練をする場所であるが、その体験からくる現状への作者の思いが全体を覆い尽くしているという作品だ。
 しかしよく見れば自衛隊体験ばかりにとらわれているというわけでもなく、現状を捉えるのにどっちかというと、英文学専攻という作者の現代的な感覚で理性的に捉えられている。全学連と機動隊の双方の主張に目配りしていて、それぞれが相対化されていて捉え方としては一面的ではないのだが、その表れかたに新撰組に象徴されるような滅びの美学の印象が強く、加えてなぜか国家主義的な臭いまでして、全体的な印象がそっちに引っぱられて理性的な部分がかき消えてしまうのだ。確かに新撰組とか特攻隊のような追い込まれた状況でしか表せないものもあろうが、誠の鉢巻に日本刀までどうしても要るのだろうか。そのあたりの現代的な感覚とのギャップが気にはなったが、全体的にはぶっ飛んだ状況設定・ストーリーで、作者の平和への思いは痛いほどに伝わってくる。

 全学連のデモシーンで開幕する。機動隊との乱闘だ。う〜ん、こんなシーンありそうでいてなかなかない。つかこうへい「飛龍伝」もここまではなかったし、これに対応するのは蜷川幸雄演出初期の群集劇くらいだろうか。それもずいぶん昔の話だ。
 場面は変わって暴走族の集会。近藤勇、土方歳三、坂本龍馬、お龍が登場する。名前がかれらの今後の運命を象徴する。近藤、土方は警察官になり、龍馬、お龍は学生になる。

 近藤、土方は、学生運動を弾圧するための予備機動隊に入る。そこの隊員は、テキヤやホストや芝居者やコメディアンや学生という、およそらしくない取り合わせ。そして学生との乱闘。かっての暴走族の仲間が敵味方に別れて争うという図式で、対立は止揚されるかと思いきや、お龍、龍馬は死に、話はとんでもないところにすっ飛んで行く。

 国会に人質をとって篭城している学生のところに、秘密の通路(これはちょっと荒唐無稽)から潜入して学生を壊滅させるが、そのとき中国空軍の空襲があり日本は新ワルシャワ条約軍に占領されてしまう。
 新ワルシャワ条約軍に抵抗して国会に篭城3ヶ月、近藤を除く隊員は投降を決意して出て行く。自決しようとしていた近藤のところに投降をやめて戻ってきていた土方は、敵に撃たれ近藤の腕のなかで死んでいく。

 「新ワルシャワ条約軍」にはドキッとしてしまう。
 新安全保障条約が締結され日本の民間施設の米軍使用が可能となるが、そのことで憲法改正が必要となり、それに反対する学生運動が高まった。それを弾圧して維持した新安全保障条約も、新ワルシャワ条約軍の攻撃を防いではくれなかった、というありうるかもしれない近未来を描いて警鐘を鳴らす。日米安保の下なら安全と思い込んでいる現状が、実はきわめて脆弱なものであるということをみごとに示してくれる。確かに国内の米軍基地を見ると日本は独立国とは言えないのかもしれないし、それが日本のためにあるというのは幻想かもしれないと考えたがいい。

 演出上の工夫もたっぷりだ。
 1回目に観たときは、俳優の地の部分を出した遊びのようなコーナーが多すぎるかなと思ったが、2回目ではむしろ全体の重苦しさを中和していると思った。2回目の方がおもしろかったが、こんなのも珍しい。それだけ内容が濃いということか。
 俳優もいい。みな個性的だ。特に剛の今井雅之(近藤勇)をうまく受ける柔の宮川大輔(土方歳三)がいい。
 1回目のときのお龍役の大國千緒奈(東京オーディション、元準ミス日本)もよかったが、2回目の最所美咲(福岡オーディション)がすっきりとした姿かたちで、情感を切れ味よく演じていて見せた。

 この公演は12月5日から18日までの2週間、12ステージと、会員組織に依存しない公演としては画期的な長期公演だ。東京より公演数が多い。席がうずまるだろうかと思っていたが、私の観た回はどちらも階段席が出ていた。口コミの影響が大きいだろう。アートリエで割引チケットを販売していた効果もあったのかもしれない。観客の年齢層はけっこう広かった。


福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ 前ページへ 次ページへ