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《2002.12月−11》

すごい講師による☆すばらしい内容
【演出家セミナー 連続レクチャー (福岡市文化芸術振興財団)】

講師:青井陽治、坂手洋二
12日(木) 19:00〜21:25 および 13日(金) 19:00〜21:05 ぽんプラザホール 3講座分1500円


 福岡市文化芸術振興財団と日本演出家協会の共催による演出家セミナーは、12日から15日まで実施される。演出ワークショップと連続レクチャーがあり、定員20名ほどの演出ワークショップに応募したがはねられてしまった。そこで連続レクチャーだけに参加することにした。3つのレクチャーのうち宮田慶子さんのレクチャーをうけることができなかったが、青井陽治さん、坂手洋二さんのレクチャーはものすごく面白かった。感想を書いておきたいと思う。

【ミュージカルのどこが「?」ですか?】(講師:青井陽治 12日(木)19:00〜21:30)
―ポイント―
○日本の演劇は世界レベルには達していない。どのレベルまでいけば一人前といえるかを考える。
○ミュージカルはどうして生まれたか。
 〔前史〕オペレッタ(ミュージカルの父)+ボードビル・バラエティ(ミュージカルの母)
 〔アメリカにおける発達〕1860年ころミュージカルの母体誕生、1800年代末にバックステージものなどでスタート。1927年:「ショー・ボート」(物語を語りだす)。1943年:「オクラホマ」(ドラマを舞踊化、歌とダンスの劇的表現が対等に。ボードビルの尻尾が切れた)。1957年:「ウェスト・サイド・ストーリー」(歌と芝居とダンスが対等のバランス)
○日本のミュージカルはなぜダメなのか
 すでに日本の伝統音楽劇として歌舞伎が完成している。宝塚は西洋物を勝手に誤解しながら取り込んでいった典型。
 音楽の問題:西洋音楽の基本である「対位法」が日本人のからだにまだ染みこんでいない。
 ドラマの問題:ふたつの価値の葛藤がドラマ→日本にはドラマがない→音楽に拮抗できない。
 ミュージカルの素:口語+不定形+叙事詩 (日本にあるのは抒情詩だけ。抒情詩でミュージカルを作ると、そこで時間が止まる)
 時間の加速:(例)「ウェスト・サイド・ストーリー」のナンバー(マリアとアニタの対立を3分半の歌で統一 → 時間の加速:時間の経過はうそをついてくれたほうがおもしろい)
 日本のミュージカルは叙情詩 → 歌のあいだ時間が止まる(時間に加速がつくミュージカルナンバーが必須だが日本ではそれができない)
 訳詩の地足が悪くて曲に乗らないことによる違和感:語られる英語(のイントネーション)にあわせた訳詩の必要 → 寸にはまった言葉の模索(原語のフレーズに合わせ同じタイムで仕上げる:1音1音符の迷信の打破) 例:I love you!→惚れた!
 歌って踊っての体力:立ち方座り方までが芝居
 ダンスでキャラクタまで表現――ウェストサイドストーリー:ダンスでキャラクタを叩き込む徹底的なリアリズム→ジェット団に酸素ボンベ
 ソ連と日本の違い(マヤ・プリセスカヤ):ソ連では「やるべき」人が、日本では「やりたい」人がやっている
 コンビネーションの振付:5年ごとにその時代の踊りをやってみせてくれた→日本では知っているけれど創れない(日本の振付師はコリオレンジャーではなくてステップアレンジャー
 欧米と日本の差の大きさ:「創るレベル」、「才能を教えるレベル」、「舞台に立つ人の体力と技術」:クリエーターはそう簡単には生まれてこない
 教えること:幅を広げて知的財産を増やしていく
 理想の演劇のために、感性の共有者をワークショップ等で自分で作る
 演出家:「感情が入っていない」と言っているうちはダメ:手を叩くのもやめる、切り替わると思っているのが幻想
 ブレスのとき音をたてない(引き息の音なし)ようになればよし:呼吸できない=リアルな状態にない―世界のスタンダードより100年遅れ
 戯曲のことば=行為を会話体にしたもの:行為をやってみて感動させる→瑣末な動き、何をしたくて生きているのかも見えてくる
 俳優が表現するものは感情ではない:感情は生まれるもの:しかし日本では感情のプランを立てる(自分の感情を前もって予定して動くことはないのに):滝沢修「感情はあと払い」さらに「感情は逆払い」
 日本では激論でも実は片方しかしゃべっていない―日本では字面の勝負
 感情の切り替わるポイント:ニールサイモンの戯曲では、行為の引き金が無数に埋められている(地雷が無数に埋まっている平原)
 まだ生まれていない日本語を創り出したい―久保田万太郎:行為を活写
 日本語の文法=書き言葉の文法:思いの順番と言語化の順番が違っている
 すべての劇はどんな空間でも上演できる―核は何か、飾りに過ぎないものは何か見定める→核心に減らしていく(小)あるいは足していく(大)
 お客様の楽しみの中に身を置く=自分が観客として何を見たいかの視点を忘れないこと:甘え=およそどんなお客がくるか見当がついていること

―感想―
 世界史的な視野で演劇をみている。ミュージカルもギリシア悲劇やアリストテレス「詩学」に連なる西欧演劇の伝統の上にあるのがわかる。
 日本のミュージカルのつまらなさの理由もよくわかった。

【現代演劇の可能性】(講師:坂手洋二 13日(金)19:05〜21:10)
―ポイント―
○アマとプロ:プロではない=勝手に始めてしまうという文脈
 アマ:自分が創ろうとして生まれる(社会的な成り立ちとかかわらざるをえない)
 プロ:自明の演劇の文脈に入る
 しかし片方だけというのはありえない
○動機(モチベーション)
 私の動機と他人の動機では違う→共通している動機は、どんな作品を作ろうかということ
 演劇を離れたとき感じる動機→動機を組織化する(舞台に再構成する):台本作家は動機を作り出すことに立ち会うことで創作者たりうる
○現代演劇―決められた以外のものを自覚的にやっていく演劇(ジャンルそのものを疑い、演劇の概念を変える)
○基本的にアマチュア―演劇を知らない存在に置いて次の作品に取り組め
 いいこと:いつでも新しい気持ちで演劇を作り出すことができる
 マイナスポイント:楽をしたい、疑わなくなっていく→保守的になっていく
○新しさ:先が読まれては困る、常に新しいものを持っているか
 内側の新しさ(水面下で動いているものの組織化)―挑戦 → 見えるところだけ固めてもうまくいかない=実はお客には見えている
 俳優は水面下を見せない作業が必要
 真実/嘘 : 嘘は隠すために使われる、新しさ=知らないことを知る(伏線)
 水面上/水面下 有/無
○条件
 悪い条件だからこそ、誰もやっていない、だから新しい:枷(マイナス要因)をどう処理していくかがおもしろいところ
 演劇はデジタル(すべて数値化が可能)
○必要性
 枷が必要性になる→偶然を組織しなおすことが表現→枷を上回るイマジネーション
○新しさこそいちばん
 演出家のいいなりになる俳優は死んでしまえ
 試すことができる稽古場でモチベーションを共有する
 演出家は発想(どうすればおもしろいか)を鍛える

―感想―
 アマチュアこそ創造的とする姿勢はみごと。しかしその常に新しさを求める姿勢はプロに違いない。劇作家でもある坂手洋二にとって、テクニックはコンテンツと独立しては存在しえないのがよくわかった。

―その他―
 以下の参加動機と同じ内容の質問を講師にしました。参考のため掲載しておきます。
【参考】演出家養成セミナーへの参加動機
 演出家養成セミナーに参加して、演出の役割とその手法を身をもって体験して、さらによく演劇の楽しさを感じ取りたい。
 ずいぶん長く芝居を観ているが、演出とは何かいつまで経ってもわからない。面白い芝居を観たときにはそれが演出の力によっていることは感じることはできる。しかし演出のどのような力のどのような効果が面白さを生んでいるかということになると、よくわからない。
 演出とは、つねに新しいアイディアが注ぎ込まれていて体系化できないものなのだろうか。演出家の文章を読んでも、名優の芸談と同じように結果としての記録ばかりで、舞台が作りあげられるために使われた技術など体系的に説明されることはほとんどないことから、そう考えざるをえないような気にもなる。反面、基本的な方法論がないはずがないという気もする。
 私は一観客ではあるが、演劇に積極的にかかわりたいと思い、1年ほど前に演劇感想のホームページ「福岡演劇の今」を立ち上げた。演出を中心にした芝居を作る方法を知ることでもっとよく芝居を楽しみ、もっと的確な感想を書いていきたいと思う。


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