「能・狂言を楽しむ会」主催の「能・狂言に魅せられて」という公演は、リーズナブルな入場料ながら、豪華な出演者で楽しめた。増田正造さんの解説もよかった。
はじめに、増田正造さんの能・狂言一般および今夜の演目についての解説があった。約20分。
能が演劇としての国際的にまで影響を与え続けているという現況の解説から入り、能面と能舞台の話のあと、あと、演じているときトランス状態が引き起こされるという演者について話された。また楽器について、その特徴を解説された。加えて狂言の話と、能から来た言葉(埒が明く、とか)の話。
そのあと、きょうの上演作品の解説。さらに、夢野久作が福岡で能を習っていたというちょっと興味をそそる話もあった。
引き続き、人間国宝による仕舞がふたつ。それぞれ約5分。
梅若六郎の「松風」は、何といっても形がいい。きちんと決まる動きに惚れ惚れする。静謐な緊張感が心地いい。
観世栄夫の「山姥」は、謡いのビブラートが大きいのはすぐわかるが、それ以上に目にはさだかに見えない動作のビブラートが多く、それが発する力に精神が引っ掻かれた、と思った。その力とは何なのだろうと思う。いっしょに行った友人は「妖しかった」と言った。
仕舞でこれほど魅了されるとは、芸のすごい力を見せつけられた。仕舞ふたつで10分ほどなのに、終わったらふぅ〜っと大きく息を吐いている自分に気づいた。
狂言「呼声」は、無断欠勤した太郎冠者宅に主人と次郎冠者が所在を確かめに行く話。約15分。
太郎冠者への問いかけを、中世歌謡の「平家節」、「小歌節」、「踊節」でやっていると、「ノリ」に乗せられて三人とも浮かれてしまう。太郎冠者の山本東次郎が軽妙でいい。三人でうまく観客を乗せてしまうのはみごとだ。
能「小鍛冶」は、小鍛冶宗近が、霊夢を得た帝から発注された剣を、霊狐の助けを借りて完成するという話。上演時間は約1時間。
相槌を打つ助手がないのを、稲荷明神の童子が親切に励まし、小鍛冶もその気になる。それまでで三分の二以上。霊狐は終盤登場して相槌を打ち、刀は無事完成する。
正面最前列中央だったので、演者の謡いはもちろん、楽器も地謡も圧倒的な迫力で迫ってきた。しかし、超一流の演者ではなかったので、若干の荒っぽさが残っていて洗練度はいま一歩だった。とくにアイ狂言の鈍重さにはうんざりした。
この公演はきょうの1ステージだけ。満席だった。
観客にお謡いをされている人が多いせいもあるのだろうか、センスのいい観客が多かった。