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《2003.6月−17》

ベテラン俳優のパワーがはじけた
【ハワード・キャッツ (アントンクルー)】

作:マトリック・マーバー 演出:安永史明
21日(土) 19:05〜21:35 ぽんプラザホール 1800円


 ベテラン俳優の力を得てアントンクルーの舞台が変わった。全体的に活力が出てきた。ブラッシュアップされて、見応えのある舞台になっていた。

 ハワード・キャッツは芸能エージェント。ユダヤ人である彼の、自殺を考える今になるまでの回想シーンで構成される。
 おおざっぱに言って、第一幕は頂点から零落するまで、第二幕は零落してからのあせりが、短い多くのシーン、それを構成する描かれる。
 仕事、家族、恋愛、お金などの人生の重要事が、短いシーンに、やはり短いたたみかけるようなセリフでテンポよく描かれていく。それらが積み重なって大河ドラマの風情さえある。第一幕と第二幕では状況は逆転しているが、再逆転はないという現実の凄惨さがひしひしと伝わってくる。
 同じ零落のドラマでも、かっての「セールスマンの死」や「花咲くチェリー」と違うのは、並存するいくつものドラマを取捨選択せずにぶちまけたような印象さえあることだろう。それらは互いに絡み、変遷する。それは、現代人の微妙さ、複雑さを表すのに最適のスタイルを選び取ったということだろうか。

 彰田新平、山口恭子、鈴木新平 の存在感ある演技がいい。
 出演者は9人だが、ハワード役の彰田を除いて一人の役者がいくつもの役を演じる。その出演者のなかでもこの三人の存在感はずば抜けている。
 彰田新平はとくに後半に入れ込みすぎるほどの演技を見せる。いつもどっか冷静で斜に構えたところがあるこの俳優が、そんな余裕もないほどにがっぷりと取り組んでいる。ただ、ちょっと熱演過ぎて感情移入を誘い、却って冷静な状況を見逃してしまったところがあるのが惜しい。思いを抱えているこの人物を一発突き放した表現にまでもっていけば、さらに別の凄みが出てきたのではないか。そのあたりまで期待してしまう。
 山口恭子、鈴木新平 は、ハワードの父母の役などそれぞれ3〜4の役をこなす。登場しただけで舞台がピリリと締まるという圧倒的な存在感で、説得力がある。ただ、いくつかの役の演じ分けは、衣装、メークが弱いこともあって、それほど際立たないのが残念だ。舞台に登場したとき、誰だっけ?と思ってしまうところもある。
 若手では立花直子が素直な演技でいい。しかし、地についていない演技も多く、ベテランとの差は大きい。具体的には、菊沢将憲のちゃんと相手を見ていない演技とその存在感のなさが気になる。もっと気になるのが酒瀬川真世と中島信和の演技の質の不安定さで、それは一本調子な体の動きや声もさることながら、不自然さが視線の動きに特に集中的に顕われている。なぜ斜め前方の宙を見てしまうのだろう。

 演出は、パワーで押しまくってもそれに耐えるこの戯曲の構造にうまく合わせていて、これまでよりはずいぶんよくなっていた。さらに切れ味がほしい、というのは今はぜいたくだろう。
 装置や舞台転換や照明の工夫も生きていた。

 この上演の翻訳は、福岡女学院大学の 岩井眞實、上田修、道行千枝、Evan Kirbyの各氏。こなれている。翻訳は福岡の海鳥社から出版されている。翻訳の出版を知らず、原書を取り寄せて読んでいたが、舞台を観るまでに三分の一しか読めなかった。でも原作の雰囲気はよくわかった。
 この舞台はアントンクルーの第4回公演で、全部で5ステージ。私が観た回は、少し空席がある程度だった。


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