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《2003.7月−6》

この違和感の原因はなんだろう
【ハイテク (下戸型ロボット)】

作・演出:冨田礼介
18日(金) 18:35〜20:10 アクロス福岡円形ホール 900円


 気分悪いというか、観ているときは睡魔に襲われ、観終わってからも違和感がつきまとう。
 その違和感を感じさせるのを目的としているようにも見えるが、作る側が当たり前と思っていることと私の当たり前がかみ合わないということもありそうな気がする。そのあたりを少し考えてみる。

 舞台は百万石小学校。その校則は、申し込まれたじゃんけんは断ってはならない。そして、5回負けた生徒は自決(切腹)する、というもの。
 7人の人物が3グループに分かれて、そのなかで生き残りを賭けてのじゃんけんバトル。3つのグループは、生徒会長と副会長、・・・どうだったっけ? そしてどうなったっけ?
 話が、なんかグジャグジャしていて印象が弱くて、眠りながら同じところをグルグルしていたという感じが抜けない。結末も思い出せない。やたらエピローグが長かったような気がするが、それも定かではない。しかも述べたように、観終わってから気分が悪い。

 どのように気分が悪いのか。
 じゃんけんバトルのアイディアと生徒の個性もあるから、最初はオ〜ッ!と見ていても、展開が悪くなるとすぐ飽きる。状況設定ははっきりしていても、俳優の演技の変な雑音で表現がぼやけて、きちんとした展開にならない。ループと見えるのだ。
 変な雑音とは、へたなギャグやおおざっぱな演技のことで、それで引っ張るのは無理があるどころか、足かせになっている。状況の変化のきちんと押さえるべきところを、ちゃんとわかるようにすることがまず必要だろう。楽しんでやっているのはいいとしても、ちゃんとわからせようとせず、見せかけの勢いでごまかそうとしている。

 いや〜な気持ちがつきまとい、観終わったあとまで尾を引くのはなぜか。
 それは、死の軽さを徹底的に強調しているためだ。それを肯定するために、人物をわざとエキセントリックにした。だがそれくらいで、じゃんけんというゲームの対価に死を持ってくるほど、死をを軽いとすることはできない。いじめがなくなるなどとじゃんけんの効用を言われても、そのことは死を軽んじる免罪符にはならない。
 切腹をちゃんと舞台上でやったなら、たぶんここまでいやな気持ちにはならなかっただろう。だがそこまではやれない。死をちゃんと見つめる気はないのだ。

 この舞台は、きょうとあすで3ステージ。初日のきょうは若干空席がある程度だった。


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