天使の涙(エンジェル・ティアー)とは、なごり雪のこと。死んだ女性の恋人(亜矢)が生まれかわって、20年後に男性(克之)と再会するときのふたりだけの「合言葉」ともいうべきもの。実際に舞台に雪が舞って、ふたりにも観客にもかっての恋人どうしの20年ぶりの再会を知らせる。
作者の想いがあらわれた唯一のちゃんとしたシーンであるその再会シーンが、ラストにくる。その1分ほどのシーンのために、それまでの80分間、砂を噛みながらじっとガマンするのはつらかった。再会シーンをトップにもってきて、そこから出発したほうがよかった。
死神のミスで死んでしまった女性。そこで死神との取引で生まれかわる前にいったん現世にもどる。そこには、いたずらな天使のために、まちがって男性に埋蔵金のありかを吐かせようとする悪漢の親分と子分。
うんざりするほど観てきた発想で、何の新鮮味も感じられない。
それなりの想いでフレームを作ったはいいが、アイディアもことばも貧相で、フレームのなかはスカスカだ。
スカスカだからそこを、変な人物たちが勝手に動き、話は迷走する。それは、死神と女性が同じような会話をくり返し、いっこうに先が見えない展開からもわかる。
俳優たちは、変に人目を引くことばかりをねらう。しかし、死神が若い女性で、悪漢の親分がオカマで、天使がむつけき男であることなど、うれしがってやっている割には何のインパクトもない。それは、あまりに低い演技力のせいもある。
人物の造形もできていない。かろうじて若干の存在感があったのは亜矢と子分くらいだが、それもまだまだ工夫の余地が大きい。
そのように、脚本にも演出にも演技にも課題がありすぎる。
脚本は、想いをもっともっとたくさん詰め込むべきだ。であれば人物だって豊かになり、それをわかりやすいことばで表現ればストーリーだって充実する。
演出は、想いをどうすれば鮮烈に観客に伝えられるか、徹底的にアイディアを出すべきだ。カッコよさそうだ ― というところばかりをはじめからねらうべきではない。一生懸命工夫した結果カッコよくなるのだ。
演技は、ごまかすことばかり考えていて、わざとらしくて、いびつで見ていて楽しくない。ふつうに動きしゃべることをまずちゃんとできるようになるべきだ。
この劇団は久留米に本拠をおく劇団で、この舞台が旗上げ公演。きのうときょう3ステージで、私の観た回は7割くらいの入りだった。