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《2003.8月−8》

やっと観られた
【生態系カズクン (飛ぶ劇場)】

作・演出:泊篤志
23日(土) 14:45〜16:15 北九州芸術劇場・小劇場 2500円


 この作品は1997年の初演も2000年の再演も観ておらず、ぜひとも観たかったのを今回の再々演でやっと果たせた。期待に違わずおもしろかった。
 みごとな仕掛けで、舞台の上にもうひとつの世界がまざまざと実在するのを見せつけられた。

 猫似(そのまま猫に似た動物)から見た麦山一族の人々の生き様を描いたという作品で、カズクンはどっちかというと第三者の目のような立場だ。
 祖母・フラ がきのう他界。当主の次男・スゲヲ と四男・トラヲ。失踪中の長男の子・ネフミ とその夫・道隆、スゲヲの子である ウサキ とミナヲ、三男の子・アサヨ が弔いのため集まる。
 そこに集まった人々の人間模様が、祖母の魂を降臨させようとするなかでわかってくる。そして祖母は カズクン に降臨するが、ちゃんと話ができるように 道隆 に移し変えて思いを語る。

 それほど複雑というわけではないけれど、例えば、ミナヲ と アサヨ の恋人関係のように、少しばかり入り組み絡んだ人の関係へのそれぞれの人の思いを、そのままていねいに拾い上げた。それぞれの人にまつわる話はけっこう多岐にわたり、それらがテンポよく開陳されていく。
 その何気ないというような話が非常におもしろく思えるのは、人物が生き生きしているからだ。そのように人物が生き生きしているのは、しぐさやセリフが個性をみごとに表現しているからだ。
 相手のことばの後ろに回りこむような、きっちりと絡む会話術がみごとで、真情を引っぱりだすが、そこにこだわらず絡みをサッと解いてテンポよくつぎに移っていく。一見何気ないような会話の、その豊かさにはびっくりしてしまう。

 開演に15分ほど遅れたが、会場に入った瞬間、アレ〜ッ?と思うような粗っぽい新鮮さを感じた。
 その違和感とも思える感覚がサーッと薄くなって舞台になじんでいく。でも、もともとリアルに見えながら実は全然リアルではない。文字どおりイメージの世界を作り上げているのだということが遅れたことによってわかった。
 そのイメージをリアルに思わせる演出と演技の技術は高い。そのようにして作ったリアルな仮想現実の上だからこそ、祖母の降臨のような徹底的な非現実までをも現実かもしれないと思わせる説得力も出てくる。
 みごとな脚本と演出に応えて、人物をみごとに形象化している俳優もいい。ただ、木村健二 と 権藤昌弘 の甲羅を脱ぎ捨てきれないような、いかにも作ったという演技が気になった。そう見えてしまう私の目に偏見があるのだろうか。

 開場したばかりの北九州芸術劇場の小劇場のど真ん中が舞台で、観客は四方から囲んで見る。
 白い幕を垂らした3つの出入り口からは、木道を頑丈にしたような橋掛かりが舞台まで作られている。舞台は、8角形の高い台が4本の柱に支えられた2層の構造で、階上に登る梯子がついている。
 1階のまん中に祖母の入った棺おけ。2階のさらに上には大きな丸いちょうちん。しつけられた装置は黒一色で、すっきりとしている。

 新幹線のなかでうたた寝してしまい、ハッと気がついたら新下関。暑いホームでイライラしながら30分も待って小倉までもどったが、開演に15分遅れてしまった。
 この舞台はきょうが初日で31日まで6ステージ。「カズクン、旅に出る」とともに、あと長崎公演、東京公演もある。
 わずかに空席がある程度だった。


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