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《2003.8月−11》

じっくりの米朝・さわやかな吉朝
【米朝吉朝ふたり会 (西日本新聞社 他)】

構成:小佐田定雄
27日(木) 19:05〜21:05 エルガーラホール・8F大ホール 4000円


 聴きたかった桂米朝に、やっぱり聴きたかった桂吉朝というふたり会は、もうこれは行くしかないと思い定めて行ったが、期待に違わなかった。
 いかにも老成したという米朝の落語は当然それなりに聴かせるが、吉朝のきびきびしたしゃべりと、俳優もこなすこの人の持ち味を十分に発揮した歌舞伎噺がとてもおもしろかった。

「皿屋敷」(吉朝)
 皿屋敷がエンターテイメント化するというバカバカしい話をいかにもそれらしく聴かせるのがいい。舞台を姫路に置きかえていて、屋敷までの道のりの表現で幽霊の怖さを引き立たせるから、後半のエンターテイメントになってしまう幽霊のバカバカしさが際立つ。
 吉朝は歯切れのいいしゃべりと豊かな表情がいい。約35分。

「らくだ」(米朝)
 まくらで紙くず屋について説明しながら、落語がやりにくくなったことについて「消し炭」などのことを引いて話す。私の子どものころには「消し炭壷」というのが家にあった。今の生活からは確かに民俗学的な遺物に見えるだろう。やりにくさもわかる。
 「らくだ」と呼ばれる嫌われ者の男が死んだ。友だちの熊五郎が、紙くず屋を使って長屋の住人や大家から供物をせしめる。そうして酒にありついたふたりだが、酒が入った紙くず屋は豹変し、熊五郎との立場が逆転してしまう。
 そのような噺を米朝は実にリアルにじっくりと聴かせる。紙くず屋の変わっていくところの、人物にからみつくような実在感のあるみごとな話芸にただただ感嘆する。それでもなお、年齢や体調のせいかいまひとつ生彩を欠くように思えた。この人らしい内に秘めた力強さに乏しく、話の芯がぶれる。テレビで見た昨年の最後の歌舞伎座公演のような迫力が感じられなかったのが残念だった。約40分。

「蛸芝居」(吉朝)
 旦那から丁稚まで皆が芝居好きという大店で、水撒きや子守などの作業もみんな歌舞伎調になってしまう。魚屋から買った蛸が逃げ出すが、これがまた芝居ごころのある蛸で、捕まえようとする旦那と丁々発止の掛け合いが芝居仕立てで繰り広げられる。蛸の墨で真っ暗になってのダンマリまであり笑わせられる。
 三番叟、水撒き奴、勘平の腹切りなどの場面を実に軽妙に演じる。その楽しさは吉朝の独壇場だ。お囃子との絡みもよく、十分に堪能した。約25分。

 この落語会は「天神落語会・夢三夜」の二日目。きのうが立川談志で、あすが桂三枝。
 後方に若干空席があった。観客は年配者が多かった。


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