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《2003.9月−1》

不安定さと斬新さの相互作用を支えるリアリティ
【京都11区 (MONO)】

作・演出:土田英生
6日(土) 18:10〜19:40 北九州芸術劇場・小劇場 3000円


 劇団MONOの新作は相変わらずのおもしろさで、土田英生の世界を堪能した。
 アッと驚く発想の新鮮さがある。この舞台を観ていると、発想が新鮮であればあるほど、それを伝えるためには、ていねいにていねいに作らなければならない、というのがわかる。

 舞台は京都のはずれの北崎町にある、洋風のお寺を改装した喫茶店。
 北崎町には、京都の中心部に住むことが許されない人たち(京都以外の出身者)が住む。いま犯罪多発地区のその町を、中心部のための駐車場にしようという再開発が進んでいて、そこに住む人たちは追い立てを食っている。それに反対して喫茶店に立てこもる喫茶店主夫妻と協力者夫妻の2組の夫婦。それに協力者となる日系イタリア人の旅行者。出て行くように毎日説得にくる市役所の担当者。
 町内にある宗教団体に共鳴する協力者の妻。しかしその宗教団体が中心部で放火事件を起こし、喫茶店主の妻の父が死んでしまう。

 あり得るかもしれないという世界を描いて、現状をくっきりとさせる手法がみごとだ。ぶっ飛んだ状況設定を納得させるリアリティを、きっちりと作り出している。
 京都出身者以外は中心部に住むことを許されないという京都純血主義が何十年も政策として実行されている。彼らが住むことを許されている北崎町が、いま滅ぼされようとしている。それを守ろうとする人たちは二重の差別に曝される。その仲間での大きな反目を乗り越えはするが、大きな力は強力な機械で建物を破壊し始める。
 根底に流れる排他的な京都純血主義が、全体主義的な臭いを感じさせて、それが建物も町も人も破壊していく重苦しさ。彼らを追い出すために通っている市役所の職員が、かれらの仲間になるという若干の救いが用意されているとはいえ。

 心の動きの表現が実に繊細だ。物惜しみせずにどんどんテンポよく進めていく。
 町内にあるオカルト教団の教義に心惹かれ、教団の人が放火なんぞするはずがないと信じている協力者の妻に対し、教団に放火されて死んだ父はあなたが殺したも同然と糾弾する喫茶店主の妻。感情的なものも入れ混じりながら互いをぶつけ合うことで、かろうじて理解しあえるふたりのやりとりは絶妙で、孤立する5人の団結は壊れることはない。
 土田戯曲の場合、そのような繊細さは、作家自信が演出することで戯曲のことばをさらに鋭く表現しているためだろう。

 この舞台はきょうとあすの2ステージ。100人強の会場は満席で、補助いすも出ていたが、中央付近にポツポツとある空席が気になった。


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