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《2003.9月−2》

商業演劇のお手本のような舞台
【放浪記 (東宝・博多座)】

作:菊田一夫 潤色・演出:三木のり平
7日(日) 11:00〜14:40 博多座 2940円


 今月の博多座公演中に1600回を達成する森光子の「放浪記」は、まさに商業演劇のお手本のような舞台づくりだ。
 出自が貧乏で、美人でもないためにさまよう林芙美子の生き様を、みごとに舞台に定着する。

 尾道から出てきて女給をしながら東京で暮らす林芙美子。新劇俳優・伊達をめぐって詩人・日夏京子と三角関係になって伊達と別れ、詩人の福地と暮らすことになるが、やはり女性がらみでうまくいかない。尾道に帰って初恋の人に会っても傷つくばかり。
 そんな折り、いっしょに詩の同人誌を出していた日夏京子か芙美子かどちらかの作品が文芸誌に載ることになる。芙美子は自分の作品を採用してほしいばっかりに、預かった日夏京子の原稿を編集部に届けるのを遅らせてしまう。
 結果、芙美子の「放浪記」が雑誌に掲載され、芙美子は一躍流行作家になっていく。

 一代記ともいうべき長い期間を描きながら、ポイントとなる人物をうまく配して、その人物たちとの確執と変化を通して、うまくドラマを作り上げる。しかもそれぞれの場面は十分に描きこまれていて、何かを省略したという感じがまったくしないという絶妙の作劇術だ。
 芙美子の不幸をじっくりと描くことで、「直情的にあそこまでやらなくて、もっとうまく立ち回ればいいのに」という気持ちにさせられる。かなり中途半端な男関係もけなげなだけに許してしまい、つまらん男を憎みさえする。そんな風に、もうすっかり芙美子に感情移入させられてしまう。ただ、べったりにはならないよう、時にユーモラスに流して客観視させるような手加減は絶妙としかいいようがない。
 脚本の手際のよさにも驚く。例えば、土建屋・田村が芙美子を侮辱し大ゲンカになるシーンでは、芙美子が本気で怒るまでわずか3〜4の短いセリフしかないのに怒る理由はよくわかるといううまさだ。

 キャストは老害を見せつけられる。
 森光子は、自分の実際の年齢の三分の一から半分の年齢の芙美子を演じるが、これはまあしかたがないとしても、あまりに歳をとりすぎた 山本学、米倉斉加年、大出俊 が脇を固めるというのにはうんざりする。若い姿をイメージしながら見るという操作をしなければならず、そのままで清新とはいい難い舞台だ。30代から40代の俳優の層の薄さの証明だろう。
 そのような中では 樫山文枝 が切れのいい演技を見せる。エピローグともいえる第5幕で登場する菊田一夫役の 小鹿番 の軽妙なしゃべりが楽しい。

 この作品の本拠地である 芸術座 に比べるとこの博多座はほぼ倍のキャパだが、若干演出も変えてあったのかも知れない。違和感はなかった。舞台装置は完全な具象で、それぞれの場面にうまくはまっていた。
 この舞台は8月29日から9月25日までの33ステージ。席は早く売り切れてしまっていた。満席だった。


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