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《2003.9月−3》

シンプルなまでに練り上げられているからこその饒舌
【見えない男 (水と油)】

作・演出:水と油
12日(金) 19:05〜20:05 イムズホール 3000円


 練り上げられた上質のパフォーマンスだ。
 研ぎ澄まされた動きはセリフ以上に饒舌で、その情報量たるや、なかなか追いていけないほどにすごい。
 それらの情報がなかなか自分のなかに定着しないで、あとからフッと浮かんできて、何だったんだろうと考え込んでしまう。そんなステージだった。

 下手奥と上手手前に真っ赤なカウチがあり、開幕前からそこに座って本を読んでいるふたりの男。間にドア。ふたりの男はゆるやかに同じ動きをするが、途中わずかにずれる。ドアからボーイがお茶を持ってくるところになるとさらに動きはずれ、ついにはふたりの男は自己の存在を主張して相手を影にすべく争う。そこに本がからむというパフォーマンスで、約30分。
 あとの30分は、床に立てた小さな旗をとるゲームや、ドアを横にして後ろに階段があるように見せるマイムなど、5分〜10分の作品の組み合わせ。そのドアを使ったマイムは、階段を降りたりというマイムの基本ともいえるものだが、スピーディな展開できちんと決めていて見せる。

 たくさんの情報は、どのように詰め込まれているのだろうか。
 練り上げられているということは、よけいな情報(=ノイズ)が払拭されているということだ。シンプルと貧相とはむしろ正反対の概念だ。シンプルに見えても、詰め込まれているのは、観る者に別の世界を垣間見せるような、多量の勢いのある思いのこもった情報なのだ。
 う〜ん、それはどこに詰め込まれているのだろう。作・演出が必死で取捨選択して積み上げた情報は、パフォーマーの頭のなかに詰め込まれている。それは今にも溢れだしそうにさえ見える。

 たくさんの情報は、どのように表出されるのだろうか。
 小さな動きが大きな意味を持ちながら、それが連関していく。大きな意図を持った情報が、信じられないようなスピードで激しく表出されたとき、現実を超えた別の世界が見えるのだ。パフォーマーは、どうすれば複雑なイメージを喚起できるか知っており、それを実際に身体を使って表現する。
 ただ、そのような豊穣は、パフォーマーから一方的にやってくるものばかりではない。意識的に働きかけてこそわかるというところもあることが、このパフォーマンスを硬質と感じる理由だろう。

 この公演は、福岡市文化芸術振興財団の主催で、平成15年度舞台芸術講座と銘うたれている。こういう最先端のパフォーマンスが見られるのはうれしい。
 この公演は福岡では2ステージ。初日のきょうは満席だった。


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