ばぁくぅのこのところの舞台の量と質には瞠目させられるものがある。福岡現代劇場との合同公演を加えれば4作品を次々と上演するという元気のよさだ。
この舞台も、この戯曲の持つ力を十分に引っぱり出そうとする努力の成果が出ていて、楽しむよりは身につまされるというレベルで、すごみさえ感じた。
焼けぼっくいには火がつきやすい。火がついたら燃え尽きるまで燃やすしかない―という芝居。
5年前に別れたエリオットとアマンダは、新しいパートナーとの新婚旅行中にホテルで鉢合わせ。焼けぼっくいに火がついて、ふたりはパリに逃げる。
ふたりの相手であるシビルとビクターがパリのアパートを捜しあてて訪ねてきたときには、ちょうどふたりはケンカの真っ最中で、再びの別れ。ふたりの新しいパートナーとのやりなおしを示唆して終わる。
人物はお手伝いのルイーズも含めて5人。ふた組のカップル・4人の男女のからみがしつこいくらい人物の本音をえぐっていて、観ていてけっこうつらいところもある。
前半のフランスのホテルの場面では、かっての夫婦が互いに、相手が結婚するとなると惜しくなってしまって、新しいパートナーをほっぽり出しての逃避行だが、そこに至るまでは冗長でややたいくつだ。デヴィッド・カーター著「はじめての劇作」ではここのところのことを、「観客が好感を持ってみるのはアマンダとエリオットのカップル。それぞれのいまの相手(怒りっぽくつっかかってくる)が障害(オブスタクル)となっている。」と、三角関係の典型例としてあげている。
後半は逃避行先のパリのアパート。エリオットとアマンダのラブラブに、かって離婚の原因となったようなイヤなことがまだら模様に入りこみ、やがて憎しみにまで変わるまでを、わずか10数分で手際よく見せる。エリオットとアマンダの愛は燃え尽きて、新しいパートナーとヨリを戻す糸口まで持っていく。そして、シビルとビクターが互いに相手のパートナーの欠点をあげつらう激しいやりとりで幕。
ハッピーエンドとはいえないけれど、いろんな本音が掘り起こされて、落ち着くべきところに落ち着く。
後半の丁々発止のやりとりのパワーはみごとだ。
ここで演出は、きちんと整理して道筋をつけるよりも、やや混沌としながらも人物の個性がぶつかり合う迫力を取ったように見えた。一筋縄ではいかないマイナスの心の動きをバシバシ投げつけられて、人生のどうしようもない寂しさを感じてゾッとしてしまった。
俳優はそれぞれにいいが、ビクターの清水一彰がミスキャスト気味で、エリオットの佐藤順一の役を自分に引きつけすぎ気味なのが少し気になった。
この劇団は、「なぞる」というスタイルのほとんど究極まできてしまったしまったという気がする。ここまできたら、「なぞる」から「ぶち破る」への転換を遂げるしかあるまい。そうすれば舞台の質はさらに上がるが、観客は減るかもしれない。
「私生活」は、1930年、ノエル・カワード31歳のときの作品。
今回の公演は21日から28日まで13ステージ。きょうの秋分の日はソワレ1ステージだが、空席があった。