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《2003.9月−12》

泣かせ のための作為が気になる
【夏きたりなば (トム・プロデュース)】

作・演出:ふたくちつよし
27日(土) 14:05〜15:35 西鉄ホール 招待


 さわやかな舞台だが、泣かせ を狙った作為が鼻についた。
 その作為、他人として訪問してきて家族ごっこをしていた老人が、実は30年前に別れた父親だったというのは、いかにも唐突すぎて肩透かしを食った気分だ。

 夫婦と娘の三人暮らしの家庭に、妻の妹が「大事な人」として連れてきたのは車椅子の老人。ひとり暮らしの老人を慰めるために老人を祖父(夫の父)に見立てて全員で家族ごっこを始める。
 が、実は老人は30年前に別れた妻とその妹の父親だった。

 私は、自分はほんとうに鈍いと思っているが、これも娘が「ごっこをやめよう」というまで、老人が妻と妹の実の父親であることに全然気がつかなかった。いっしょに観た人と話したら、伏線があるからけっこう早くに気がついていたという。それを聞いて、私はすっかり気落ちしてしまった。
 それでもここは、いかにも唐突と思えた理由を考えてみよう。
 伏線で私にわかったのは妻のボランティア嫌いくらいで、老人が写真屋をしていたことを聞いた妻の反応は見落としてしまった。それにしても、老人の家出の原因が妻に家族写真を取ってやるのを反対されたて止めたがその家族の父と母が翌日自殺してしまったからというのは、失踪のきっかけとしてはちょっと納得しがたいほど弱い。妻の妹が介護している老人として仮名で登場するとはいえ、妻の妹には自分の父親に対する感情がもっと顕れるのではないか。そこはごまかされた感じ。そして、妻はその父親と10歳過ぎまで暮らしており、30年経ったとはいえ見た瞬間気がつかないというのは不自然ではないのか。
 以上、私が老人が妻の父親と気がつかずに肩透かしを食ったと思ったことの必死の弁明だが、述べたことは作劇的な甘さそのものではないかと思う。そう簡単に思惑どおりには泣けない。

 そんな不満はあったが、舞台は演技も装置もさわやかで、家族の日常もていねいにうまく描かれていて、それを見るのは楽しい。
 老人役の左右田一平はその昔、テレビ「新撰組血風録」などで洒脱な脇役を演じていた。なつかしかった。

 この公演はきのうときょうで2ステージ。ほぼ満席だった。
 森口博子にとってこの公演は地元凱旋公演だが、カーテンコールでその眼に涙がにじんでいた。


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