藤間紫の、役にのめりこんだ存在感たっぷりの演技が見ものだ。西太后のすさまじい生き方の表現に、きびしく激しい藤間紫の生き方が投影されている。
その西太后とは、どのような人物だったのだろうか。
このごろ出た、独裁者にインタビューした書物の書評によると、独裁者は自らを独裁者とは思っておらず、弱い面ももつまっとうな人間だと考えているらしい。
西太后も本人の思いを中心にみれば、弱いあわれな人間に見えるかもしれない。しかし、中国という国家のなかでの彼女の役割をみれば、本人の考えがどうであれ、清王朝の存続と自らの権力欲のために、彼女が47年間も権勢をほしいままにしたことによる中国の損失は計り知れない。
権謀術数も国家のためといいながら、実は己が権力を保持するということが第一義にある。そのためには、民主化を求める世の中の流れには徹底的に目をつむる。
そのような権力の亡者としての西太后に対し、この舞台では肯定的にばかり見て、その残虐さには徹底的に目をつむる。その政治的力量と幸運が彼女を独裁者にしたが、この舞台はそのことだけを彼女の主観で強調したものと思えばいい。
第一幕は、皇帝の死後、幼少の新皇帝の母の立場を利用して、宦官との争いに勝って権力を握るまで。約1時間15分。
第二幕は、12年後、成人した皇帝と西太后との確執が皇帝の死という悲劇を招く。西太后は妹の4歳の子を新皇帝として権勢を保持する。約1時間15分。
第三幕は、さらに20年後そしてその3年後。日清戦争に敗れたあと皇帝が維新に乗り出そうとするのを叩き潰し、その権力を奪って返り咲く。約1時間15分。
幕が進むにつれてどんどんわびしくなるが、そのあとの清朝の滅亡までは描かれない。
けっこう長い期間にわたる複雑な歴史上の事実を、脚本は、人物の関係とその絡みの変化を整理し単純化して、わかりやすく見せる。例えば、西太后に寝返った将軍の思いを、将軍自身の口でちゃんと説明させる。
何もかもが西太后寄りなのは、一代記という作品の主旨からやむをえないだろう。
この舞台は藤間紫のための舞台だ。
実在の西太后がどうであったにしろ、親子・男女の愛情も求めるが行き違い、結局は権力にのめりこむというこの舞台の西太后を、藤間紫は圧倒的な存在感で見せる。
ラスト15分、西太后は思いのたけを独白する。内容的にはくりごとと聞こえるところもあるが、それを演じる藤間紫の気力は、とても80歳近い女優とは思えない。見ているだけでもいい加減疲れているというのに、もうすでに3時間も演じているにもかかわらずその気力は尋常ではない。9月の森光子をすごいと思ったが、この舞台の藤間紫もすごい。
1995年に初演されたときは女優の出演もあったようだが、今回の上演では女優は藤間紫だけ。あとはスーパー歌舞伎のメンバーで演じられる。
この舞台は、4日から26日まで30ステージで、1日2ステージが7日ある。きょうはわずかに空席があった。