全体の構想も大きく、アイディアたっぷりの舞台で楽しめた。
阿部定の実話を変形し、愛の様々なありようを描く。作者の業ともいえる生々しい思いが、その描きかた全体を貫いているという舞台だった。
10年前、雪の家に火を放って逃げたサダ。そのために女郎となった雪のもとにサダが訪ねてくる。そのサダは、勤め先の主人・吉蔵のリコーダーを奪って捕まっていたところを逃げてきた。サダを追っかけてくる吉蔵はオカマになっている。
その吉蔵がおのれを取り戻し男になってからは、リコーダーをめぐる話にサダ・吉蔵・雪の三角関係と並存する、サダと雪のレズのような感情までがからむ。
「いちもつ」への直裁なこだわりがおもしろい。
リコーダーはその象徴だし、リコーダーに突き刺される小さなアライグマも、頻繁に出てくるバナナもやはりその象徴だ。そのあたりを、やや崩れた和服の着こなしなどで隠微さを漂わせる。そのあたりの性的な雰囲気を出そうとするところに、作者の素直な衝動を感じる。
「自分のほしいものがわからないから、他人のものを取る」というサダの性向の設定が、実在のサダほどには「いちもつ」にこだわらず、行動的になってはいる。にもかかわらず、全体を見ると作者はやっぱり「いちもつ」あるいは「いちもつ」についての女の気持ちにこだわり続ける。
表現はいろいろ試みていて、飽きさせない。
カラオケには和服の踊り子の踊りがつくし、カラオケなしの踊りもある。場面の転換にそれらがうまく挿入されている。
俳優はやや極端ともいえる動きで、グサリと切り込もうとし、それはかなり成功している。しかし、ときどき急に進行が止まったり動きが軟弱になったりが少し気になる。全体のテンポと動きの切れがもっと出てくれば、さらに見応えあるものになる。
この舞台は、早稲田大学公認・サークル「集団たま。」と、福岡たまメン「集団たま団。」の合同公演で、主体は前者にあるようだ。
きのうときょうで3ステージ。60人くらいの観客だった。