ハリケーンディスコの芝居がこのところ、おどろおどろしさが弱まって、ドラマが見えやすくなってきた。それでもまだその表現は一見すねたように見えるが、実は十分に計算されていて、そこには繊細に表現された鮮烈な思いがあふれ出ている。
人間の感覚の幅は広いが、その広い感覚に対応するためには、表現の幅も広がらねばなるまい。この作品では、内容にあわせたうまい表現がいい。
恋人のいる娘がだまされて、どうしようもない男にもてあそばれる、という状況は、救い難さから来るやるせなさに加え、サディスティックな性的感情もあおられて、異様な気持ちにさせられる。やるせないのは、人間存在と切り離せない性が貶められるレイプが、人格そのものまで踏みにじる行為だからだ。
そのレイプシーンを、手抜きをせず照れもせずにきっちりと描ききることで、辱められた者の絶望をかいま見せる。先ごろ見たヴィンセント・ギャロの映画「ブラウン・バニー」のレイプシーンに匹敵するようなインパクトがあった。
戯曲の構成も演出も、非常におもしろい。その特徴は、うまくタガをはずしていること。その一見ラフと見える作りから、幅と奥行きが出てきていて魅力的だ。開幕早々にテレビインタビューを受けているホームレスが、ラスト近くにテレビ出演をするべきか悩んでいるという連環をさりげなく入れるなどの、作品の深みを増すやりかたも効果的だ。
恋人ふたりが福岡から東京に出て、女が好奇心で参加したマルチ商法の団体の集会で、その俗悪などうしようもない主宰者に犯される。福岡から東京へというエピソードを重ね、ロードムービーの雰囲気もある。
戯曲はそのふたりをていねいに追っかけながら、そのまわりに、奇矯ではあるが魅力的な人物を配する。それらの人物は、キャラクタとして重なり合う部分を残しながら、別の人物として登場するという独特の手法なのを、さらに同じ俳優が演じることで人物を多層的に表現する。
一見ラフと見える作りだが、俳優の演技は実にていねいだ。
かまってほしい女(中原智香)が、小説を書くことに夢中な男(高木優一郎)を見る眼――さびしさをたたえたその眼にドキッとしてしまう。そんなていねいな演技だ。
極めつけは、レイプシーン。意識はあっても、抵抗できない状態におかれてレイプされる女の、あきらめと悔恨の表情の何というリアルさだろう。
怪優・木山浩平は、前半の労務者役では抑えた演技がなかなか新鮮で、後半のマルチ商法の団体幹部役での木山らしいどぎつさとの対照もおもしろかった。
この舞台は3日間5ステージ。初日を観た。40人くらいの観客だった。
ハリケーンディスコは、この舞台を最後に東京進出とか。才能ある演劇人が東京に流れるのは残念だが、健闘を期待したい。