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《2004.2月−6》

わかぎえふ演出が、甲殻類・河原新一の殻を取った
【ちゃちゃちゃ (リリパットアーミーU)】

作・演出:わかぎえふ
14日(土) 19:05〜21:20 西鉄ホール 招待


 大変おもしろかった。劇作家・演出家としてのわかぎえふの実力が十分に発揮された。
 お金のかかった、ていねいなつくりの舞台だが、その印象は、軽さ、楽しさに充ちている。飛び跳ねるようなやや速いテンポで、やや極端な状況を作り、生き生きとした人々をやや軽薄に描きながら、それでいてしっとりと、落ち着くべきところの落ち着くように見える。だが、その落ち着きかたは、一点にフォーカスせず、ちゃんと着地はせず、危うさがどこかに残っている。そのようなところが魅力だ。

 幕末から日清戦争にかけての大阪での、洋服の縫製師たちの話だ。
 いち早く洋服に目をつけて始めた縫製のしごとは、時代に乗り、仲間たちの協力で順調に発展する。しかし、社長の息子ふたりが徴用されると、社長は軍服を作っていることを嫌悪する。そこを乗り越えて息子を送り出すが、長男の戦死の報がとどく。

 オープニングは映像「幕末&維新ニュース」で、当時の状況をうまく説明する。  装置は、柱と屋根の大きな木組みだが、重苦しくはない。そこを、多くの人物が動きまわる。場面転換時は、下手で縫い子が洋服を縫う。
 お客の徳川慶喜役であんみつ姫のとまとママが登場。派手なドレスで、いつもよりなまめかしい。

 この作品を、同じように庶民を扱う井上ひさしの作品と比較してみると、わかぎえふの特徴が少し見えてくるかもしれない。
 その手触りはわかぎえふのほうが粗っぽいので、その分、完成度が低いように思ってしまうが、むしろそれが狙いで、意識的に落ち着くことを避けているような作りだ。人物もけっこう錯綜し、わざわざ隙を作るような遊びもあるが、それは全体の雰囲気を収束させることを必ずしも意図していないためだろう。
 そのような特徴を持つわかぎえふの戯曲のレベルは高い。

 俳優もそのような戯曲を受けて、やや強調した演技と自然な演技とのバランスがなかなかいい。劇団員と客演俳優は、さすが安定している。
 その出演者のなかにオーディション選出の俳優は9人。その9人に福岡からは河原新一と上瀧征宏のふたりが入っている。ふたりの演技は、これまで見たこともないほどいい。特に河原新一の演技の変わり方は特筆に値する。
 河原新一の演技の硬さは、例えば「福岡電話物語」で椅子を頭上に抱えた姿を思い出してみればいい。丸太のような、しなりも柔らかさもない、即物的が過ぎる演技だ。そのガチガチの演技は、甲殻類を思わせた。
 それがこの舞台ではどうだ。けっこう出ずっぱりの役を劇団員に伍して演じているが、努力のあとがかいま見えはするが、肩の力が抜けて硬さがほとんど感じられない。それは、述べてきたようなわかぎえふの戯曲の特徴に助けられているところもあるかもしれない。
 それにしてもこうも変わるのだろうか。わかぎえふの魔術のような演出の力に恐れ入る。

 カーテンコールでちくわゲット。おいしかった。
 この舞台は2日間3ステージ。ほぼ満席だった。


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