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《2004.2月−13》

中途半端さに、ストレスが溜まる
【赤鬼 (非・売れ線系ビーナス)】

作:野田秀樹 演出:田坂哲郎
22日(日) 19:00〜20:50 ぽんプラザホール 1200円


 この頃おもしろい芝居を作って、福岡の若手劇団のなかでは最も将来を嘱望される劇団のひとつである 非・売れ線系ビーナス が、どのように野田秀樹に取り組むかに期待したが、残念ながら期待はずれだった。
 野田の戯曲にアプローチするのには、自らのスタイルにこだわる前に、戯曲に真摯に向き合う姿勢が出発点になるはずだが、その姿勢に欠けた舞台だった。

 浜に流れ着いた赤鬼と仲良くなる「あの女」と呼ばれる女。その頭の弱い兄と、女をものにしたいと思う水銀という男。
 赤鬼は、落ち着き先を求めて海上をさまよう赤鬼たちの先遣隊だった。しかし村人に受け容れられることはない赤鬼とともに、女と兄と水銀の三人は海へ乗りだす。だが、赤鬼たちの船は去っていったあとだった。
 漂流する船の中で、三人は赤鬼の肉を食べて生きのびて、村に生還する。

 ラスト20分はシリアスなのだが、それまではほとんど、ふざけのオンパレードだ。テーマ性の強いこの戯曲に対するアプローチとしては、まったく間違っている。
 野田の舞台は、現われたものは非常に多彩で、とらえどころがないようにさえ見える。だがそれは、その幅広さがなければ表せないからで、その多彩さの下の骨組みは実にしっかりしている。
 この舞台が致命的なのは、そのような戯曲の構造が読み取れず、だから表現も安きに流れて、上っ面をかき混ぜるだけになってしまったことだ。戯曲のセリフを大事にせず、著作権者が許したとは思えないアドリブで遊んでばかりで、みごとに戯曲を殺してしまった。だから、ものすごく眠たかった。
 戯曲にきちんと対峙しないのなら、既存戯曲を上演する意味はない。

 軽さはこの劇団の特徴である。
 この戯曲への取り組みとしては、軽さで徹底的に押すという手と、軽さ以外の表現にトライするという手の、ふたつの方法があった。今回の取り組みはそのいずれでもない、逃げだ。
 多彩なセリフが、表現の幅が広く、しかも研ぎ澄まされたものにまでなったとき、野田戯曲の骨格というか岩盤というか、観る者が”テーマ”だと思うものを感じさせてくれる。
 上記のふたつの方法のいずれを取るにしろ、そこまで持っていく必要があった。この劇団得意の軽い変わり身を多用してもかまわない。ただそれは、読み取った戯曲の表現に効果的でなければならない。そのあたりなんとも中途半端で、メリハリに乏しくて、演技として非常に弱い。観ていてストレスが溜まった。

 この舞台はきょう3ステージ。ラストの回を観た。かなり空席があった。


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