上演時間の半分近くを眠っていた。
このごろこんなことはなかった。なんでこんなひどいことになったんだろう? それは私の体調の悪さもさることながら、演出のまずさと会場のひどさに、より多く起因している。
1930年代前半のナチス統制下のドイツ。
ハルダー(西村雅彦)は、ユダヤ人である親友・モーリス(益岡徹)を疎んじ、ナチ党員・フレディ(宇梶剛士)に近づく、というメインの話に、ハルダーの母(銀粉蝶)、妻(高嶺ふぶき)、愛人(野村佑香)との愛憎がからむ。
趣向はおもしろそうだが、そのおもしろさがほとんど伝わってこないのだ。
演出はこの作品を「巻き込まれがた」のコメディという。女性たちを相手の少し極端ではある日常のトラブルに巻き込まれているうちに、親友を裏切り、ナチスのためにアウシュビッツで働くことになってしまう。
しかし演出は、それぞれのシーンはみごとに何ごともなく、あまりに平板すぎて、巻き込まれのメインとサブの差が際立たない。だから、趣向が趣向として生きない。
売りの生演奏も、むしろ自然すぎてBGMに近い。
そういう欠点はあるにしろ、眠ってしまうのはよほど異常だが、そうなるのは、おもしろくなさを会場の条件の悪さが増幅しているからだ。
席は1階の通路のすぐ後ろで、舞台からは若干遠いが、ひどいという席ではない。その席でほんとにイライラするのだが、それはホールの広さと声の通りの悪さが原因している。
この舞台は東京では、458席のPARCO劇場で上演されている。それを3倍のキャパのメルパルクホールで上演することがそもそも間違いだ。別の芝居になってしまい、おもしろくなくなってあたりまえだ。上演するなら西鉄ホールが理想、ももちパレスかまどかぴあが限界だ。
おまけにメルパルクホールは音の通りがものすごく悪い。音が割れて声が通らず、セリフが非常に聞き取りにくいのだ。この致命的な欠陥を考えると、ここで演劇を上演することが間違いだ。
そんななのに観客はあくまでも従順。眠っていた隣の席の女性は、三回のカーテンコールにちゃんと手をたたいている。私はとても手をたたく気にはならない。上演の環境の問題が大きいから、役者には気の毒かな、とは思うが。
この舞台は福岡ではきのうときょうで2ステージ。1階は7割ほどの入りだった。