カーテンコールで松尾貴史が、「これで第一部の終了です」と言った冗談を本気にしたいほど、開きっぱなし、混乱しっぱなしのまま終わった。
前半スッキリなのが、後半ブレてきて、自分のなかで何もかもがガタガタになって、それは不安感というよりも、やるせないほどの居心地の悪さに至る。声高なセリフがない分、じわじわとくる不可解な状況を拒否するかのように、ハイなのに眠くてしかたがないという身体状況に陥る。
それを何とか解きほぐしてほしいと思っているのに、不可解さは増幅して、ついには舞台となった場所の存在や、登場人物の存在までもが、不確かなもの感じられてしまう。
そんななかで観客としての私は、何か大事なメッセージを読み落としていて、肝心のことがわからなくなっているのではないかという不安にさいなまれつづけた。
しかしどうも、それもまた作者のねらいめで、うまくはまってしまっただけなのかもしれないと、自らをなぐさめたくもなってくる。・・・そんな舞台だった。
大昔の陥没によってできた、深くて巨大な縦穴がガルガル国で発見された。
その穴の中にある研究施設に派遣された調査団のうち到着したのは、ライター、カメラマン、医師、通訳の日本人4人と、ガルガル人学者1人(ケガをして寝ていて、舞台には登場しない)だけ。研究施設には日本人の説明者が1人いる。
待てど暮らせど調査団は到着せず、4人は勝手な行動を始めるが、研究施設の奇妙な仕掛けと、穴の不可思議な生態系が、4人にそろりそろりと迫ってくる。
研究施設は、六角形の組み合わせで、すべての部屋は同じ形。廊下はなく、部屋を通って移動する。施設では着るものは下着までみんな同じもので、外面的には個性を奪われて無機質な感じ。それに加えて、部屋をグルグルと回る無限性に、頭がクラクラとめまいさえしてくる。
到着から10日ほど経ったとき、ガルガル人のベッドの移動でゴタゴタ。それについていけなくなって、頭が熱を持ってきて、ハイな状態になる。
さらに襲ってくる不気味な巨大穴のきしみが、研究施設の不可解さともども、4人に迫る。だけど、何がなんだかあまりよくはわからない。
ここは、ちゃんとロジックが通ることを求めてもどうしようもないようだ。「しかたがないあな」とあきらめ、わけもわからないものに、わけもわからず押しつぶされる、受け容れがたい恐怖を感じておればいいや、と開き直るしかないか、と考えた。
それでも気になってしかたがないので、ふだんほとんど買うことがない公演パンフレットを買ってしまった。そこには「開演前には絶対読むな」と書いてある「解説」というページがある。
最初からの疑問――なぜ施設は6人しか泊まれないのか。たぶん、調査団を受け入れる意思など最初からなかった。であれば、4人はモルモットとして完全に仕掛けられているのでは、というのが私の今の考えだが、パンフレットの「解説」は、もったいなくてとても読めない。
初めての倉持裕体験はこんなふうだった。G2の演出の切れもあって何とも斬新だったが、この舞台の内容については、もうすこし反芻することになるだろう。
この舞台は12日から14日まで4ステージ。満席だった。