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《2004.3月−9》

展開が読めない、それも魅力
【漂白詩人 (クロックアップ・サイリックス)】

作・演出:川原武浩
21日(日) 13:00〜14:20 ぽんプラザホール 1500円


 川原武浩の作品、このところ冗舌の空撃ちが少なくなってきた。その分、わかりやすくなった。
 そうなると、それを踏まえて、もう一段のスケールアップを期待したくなってくる。

 一面に白いワイシャツを吊るした洗濯屋にいる3人の女・選択屋、洗濯屋そして染物屋。
 そこに来る3人の男・洗い者、忘れ者そして流れ者。洗い者は洗濯物を探しに、忘れ物は撃った弾丸を探しに、そして流れ者は詩を売りにくる。
 ストーリーはどうなるか、その展開がまったく読めない。それが魅力だと言えなくもない。

 ことばにこだわって、セリフは詩的で魅力的だ。それぞれのシーンをきちんと際立たせる。印象的な装置に照明と、テクニカルの質も高くて、それを助けている。そういう面で楽しめる。
 ただ気になることもある。ひとつは構成の弱さ。状況がわかったら、そこで展開がピタリと止まり、停滞のあともう終盤にさしかかるという中盤の書き込み不足に、中抜きという不満が募る。流れ者は忘れ者が放った弾丸だったというのはいいとしても、脱北者の話とからめた洗い者が、全体にからんでこないのも不満だった。さらに言えば、行動ではなく、ことばで説明してしまうのも、構成がいびつと思える理由だ。
 もうひとつは、イメージ借り。いちばん大切なところで与謝野晶子の詩に頼るのは、せっかく作ったイメージが既存の強いイメージで塗りかえられてしまい、いただけない。だから、ラストの弟との対応も弱くなった。ここはどうしても、作者のオリジナルのセリフで決めてほしかった。

 男3×女3で相手が入れ替わるタグマッチのようなやりとりは、なかなかおもしろくて見せる。
 女優は3人となって、ガッチリと安定したという印象。しゃべりの強さがいいし、存在感がある。
 対する男3人は、てんでんバラバラさがおもしろいが、人物への肉薄はいま一歩で、もっと激しくその不合理さや揺れやあせりに踏み込んでもいい。

 川原武浩の作風から、カタルシス拒否の傾向が弱まりつつあるかな、という気がする。川原らしい不合理さや極端な象徴性をさらに残しながら、更なる深さと強さを期待する。
 この舞台は、きのうときょうで3ステージ。空席が多かった。もっと観客が増えてもいい。


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