ファッショナブルで、エンターテインメント性の高い舞台だが、ただそれだけではない。性倒錯などで観客の気持ちを撫でたり引っ掻いたり。引きつけられるとすれば、そのような、ただの心地よさだけではないところだろうか。
1985年、宇宙へと巣立っていった人魚族の三つ子のティルト・セツ・ベンジャミンが、産卵のためにマンハッタンに来る。
いまは男のベンジャミンは、いきなり事故にあい、人魚としての記憶をなくして、人間のダンサー・アートに心を奪われる。
1980年代後半の地球の環境に関する事件とからめる構想の大きさ、ストーリー展開の派手さは、原作がアニメならではと言える。
その大きな構想を、人魚族と人間との恋などを使って、うまくファッショナブルに見せる。とにかく、展開も演技もテクニカルも、カッコよく見せることに全力投球している。派手で切れのいい舞台転換など、俳優の魅力以外でも観客を引き込む工夫は欠かさない。
男性が女性を演じるという宝塚の裏返しだが、宝塚ほどには洗練されてあらず、男性である私には心地よくはない。
そうではあっても、そのような違和感をいかにも無理やり押し切って、そのことが何となく快感に感じてしまうというのが不思議だ。ベンジャミンの及川健の、女性的でありながら女性にはなりきれないというそのあたりに、気持ち悪い感触を残しながらも惹かれるのかもしれない。