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《2004.4月−7》

弱すぎる演出
【BLACK COMEDY (西南学院大学演劇部)】

作:ピーター・シェーファー 演出:宮島直子
17日(土) 13:35〜14:55 西南学院大学内 学生会館3階大集会室 400円


 雑さが目立つ舞台で、ギクシャクしていてなかなか乗れない。原作戯曲のアイディアいっぱいのおもしろさも、きちんと上演しないと消えてしまう。

 アーチストのミラー。恋人の父がコレクターを連れてくることになっていて、隣りに住む人が旅行中なのをいいことに、その家具を無断借用して場を作る。
 待っているところに停電。真っ暗ななか跳び込んでくる近所の知人に加え、恋人の父もやって来、隣りの住人も予定を変更して帰ってくる。はては、ミラーの別れた恋人までやってきて来て、暗闇のなか奇妙なやりとりが続く。
 ミラーが取り繕おうとすると矛盾が噴き出して、状況はますます悪くなるが、それでもは容赦なく真実というか本音が引っぺがされていく。

 この舞台、俳優はほとんどスケジュールをこなしていくような演技で、緊張感がないことおびただしい。セリフをしゃべることに手一杯で、人物の気持ちの動きなど、ほとんど意識しない。手持ち無沙汰に舞台にいる人物がいても平気で、なぜそこにいるかさえ考えていない。要は、戯曲の読み取りが全然できていないということだ。

 大学演劇における既存戯曲の上演は、演出こそ勝負のはずだ。演出がちゃんとしていれば、演技も生き生きとしてくる。
 その演出は、「微細にやれ」とまでは言わない。しかし、戯曲の基本はきちんと押さえ、そのいちばんおもしろいところを強調するだけでいい。
 この舞台での戯曲の読み取りについて言えば、何かあるごとに状況はひとつひとつ悪化していくのだが、そのせっぱ詰まりかたの変化の切れ味が悪い。だから、前の恋人とよりを戻してしまうという大きな変化がうまくあらわれず、インパクトは弱い。
 演技は、演出がちゃんとしないためにズタズタになった。そうではあっても、先入観を排して演出とともにアプローチしていけば、戯曲に対応した上演の形を十分に取っていけるはずだ。それこそが、既存戯曲を上演する意味ではないのか。

 この舞台は、西南学院大額演劇部の新入生歓迎公演で、15日から17日まで5ステージ。60席ほどの会場は、ほぼ満員だった。


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