福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ 前ページへ 次ページへ


《2004.5月−3》

リアリズムの極みとしての、長塚作品
【はたらくおとこ (阿佐ヶ谷スパイダーズ)】

作・演出:長塚圭史
1日(土) 18:05〜20:40 ももちパレス 招待券


 この舞台、リアルな装置に、リアルな人物のリアルな会話で、ものすごくリアルに始まる。その幕開きを見ていると、あまりのリアルさに、これからどう展開していくのだろう、おもしろくないんじゃないかと心配になるほどだ。
 そのようにリアルに始まりながら、この舞台はリアリズムの範囲を超えていてるように感じさせられた。どうしてそう思ったのだろうか。

 しょっぱくてまずいリンゴを作るために脱サラで起こしたリンゴ農園がダメになり、経営していた梱包工場も倒産寸前の茅ヶ崎。リンゴ農家の組合とも対立していて、激しく憎まれている。人物は他に、従業員の夏目と前田兄弟、バイトの佐藤。さらに、佐藤の兄と妹、そして侵入してくる組合の河口。その、かなりドロドロの人間模様。
 一週間失踪していた前田弟が持ちかえったトラックが工場の壁をぶち破って突っ込んでくる。不安定さは極限に達するがさらに、奇矯な人々のエゴがぶつかり、金や愛憎や生死が濃密にからむ人間関係が露わになって、激烈な現実のをあぶりだしていく。

 緻密な会話を組み合わせながら、イントロの15分で、人物とその置かれている状況をみごとにわからせる。
 開幕15分後、工場は組合の連中からの石つぶてにさらされる。55分、トラックが突っ込んでくる。佐藤が妹をたぶらかした河口の腹に鎌をぶち込み、さらに佐藤は農薬を飲んでしまう。
 トラックの積荷が猛毒だということがわかりパニックはさらに昂進する。前田兄がその毒にやられるが、なぜか茅ヶ崎は猛毒を工場に持ってこさせ、自らそれを舐める。夏目も舐める。その味は、茅ヶ崎の妻と娘が交通事故で死んだときに茅ヶ崎が食べたリンゴの味だった。
 しかし、「トラックの積荷が猛毒・・」以降は、実は夏目の夢だった。それでも、腹の鎌が刺さった河口はそのまま。茅ヶ崎は、夏目の正体を知る。

 かっての新劇のリアリズムは、社会の典型的な状況をリアルに描くことで、社会的矛盾などの構造を浮き彫りにしようとした。そこには、プロパガンダとそれに寄りかかった表現上の甘えを含んだ作品が多かった。
 静かな演劇は、ごく日常的な意識をていねいに描くことで、そこに社会の雰囲気までも反映する。
 現代の日本の演劇の大部分はリアルな舞台が基本になっており、この作品もリアルな舞台を基本にしている。そこを基点にしながら、どこまで現実を捉えさらには現実を超えて、厳しく人間の本質に迫りうるかということが、作品の魅力の源泉だということになろう。
 長塚圭史は、まず激烈な状況を徹底的に集積し、それにレトリックをかませて、現実を超えるものを現出させる。激烈なる状況のために、厳しい設定のなか、奇矯に見えるまでの人物が奇矯な行動を取って、どうにもならないところで顕われる人間の本質を見つめる。ただ、その目は決して冷たくはない。
 この舞台がリアリズムの範囲を超えていると思うのは、激烈な状況がリアルでないと思わせられることによっている。だが、現代の社会の複雑さを表現するのには、激烈な状況でしか表現できないところがある。だからこれは典型的な状況だと言えなくはない。この作品は、リアリズムの幅を拡げているといえる。

 この舞台は福岡では2ステージ。かなり空席があった。


福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ 前ページへ 次ページへ