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《2005.2月−14》

もう一段大きく発想しても、いい
【エレベーターの鍵 (峰尾かおり一人芝居)】

作:アゴタ・クリストフ 演出:山田恵理香
27日(日) 16:20〜17:10(アフタートーク含まず) アンドロイド 1200円+ワンドリンク


 久々に山田恵理香の演出とガップリ組んだ峰尾かおりのこの一人芝居は、演目の選定もよく、演出と演者それぞれのよさがよく出ていたステージだった。
 ライブ感重視で、演者の魅力をよく引き出していたが、欲を言えば、戯曲の持つ構成の大きさをもっと見せてもよかった。

 森に囲まれた城に住む女。建築士の夫はそこから遠い町まで通う。
 森を散歩していて森の男に花束をもらったことを話したら、夫は女からエレベーターの鍵を取り上げて、城の外に出られなくしてしまう。

 開演に15分以上遅れたために、全体の構成に込められた作品の意図がわかりにくくなったのは残念だった。入ったとたん、開演中の会場の雰囲気の濃密さにびっくりする。地下にあるカフェレストランのフロアのいっぱいの客の間を、客を挑発するように動く。声と顔と身体の表情が豊かで、時に見せる激しい表出は妖艶でさえある。
 そういうところはまさに演出意図どおりの「峰尾かおりショー」で、これだけ俳優の魅力にあふれた公演には福岡ではほとんどお目にかからない。楽しめた。

 ただ、夫から歩くことを奪われ、聴覚を奪われ、視覚までも奪われるという、暗い方向にやや一本調子に見える展開を、演者の身体表現にこだわった演出でほんとに一本調子にしてしまっていたのが惜しい。
 奪われるたびにさいなまれる絶望感、歳を重ねることの寂寥感がなぜか際立たない。峰尾かおりの身体から離れきれず、戯曲の持つ大きな構造がなかなか見えてこない。どうなのだろうか、時間経過や環境の変化をもっと象徴的に表すことで、峰尾かおりの身体の後ろにひろがる時間や空間をもっと強く感じさせれられたのではないだろうか。情感豊かな峰尾を相対化してしまうことで、もっと大きな世界が顕われたのではないかと考えることは、贅沢すぎるだろうか。
 声を取り上げられることに抵抗して夫を殺すラストはなぜかしっとりで、それにかぶってくる甘ったるい歌にも違和感があった。

 終演後アフタートークが20分強。
 この舞台はきょう2ステージ。1ステージ目を観た。30人以上の観客で満席だった。


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