作者の生き方の模索の過程であふれ出た思いが詰まった作品だ。
その思いをもう一段突き放して見られるようになればもっとおもしろくなっただろうが、そこまで望むのは贅沢というものだろう。
エリートへの登竜門の学生棒高跳び選手権(=就職試験)を蹴って、自分を探して友だちとバンドを作る蒼井。
しかしそのバンドも、売れるためには自分の表現から離れて体制に呑みこまれていく道をリーダーが選び、蒼井はそこからも疎外される。
社会のレールに乗ることと自己実現との対立について、直裁に思いをぶつけたという作品で、自分の経験や思いのそういう直截な表現には好感が持てる。
いちどスピンアウトして、自己実現のために始めたバンド。しかしそのバンドも体制に呑みこまれてしまうという構成も単純ではなくて見せる。自己実現のない生き方は死んだも同じという遺伝子のささやきに導かれて、いくつかの変換点で「よし!」という生き方を選びとりながらも、そうスッパリと割り切れない気分も漂わせる。
ひとりギターをかき鳴らすラストは、安寧のなかにも寂しさが漂うが、それはそこに少しだが逃げの姿勢を感じるためかもしれない。
2段組の立体的な舞台が効果を上げている。まん中に置かれた棒高跳びのバーが象徴的だ。
演技は、説明調のセリフをやや言い急ぐのが気になった。力が入り過ぎてくどくなっていて、舞台にリズムがでてこない。工夫の余地がありそうだ。
この舞台は九州大学演劇部の卒業公演で、きのうときょうで3ステージ。若干空席があった。